天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
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 鶯が紫紺と青藍とともに都を出て数刻後。
 陽が沈む頃、都の見回りを終えた黒緋は寝殿に向かって歩いていた。
 寝殿(しんでん)には鶯と二人の子どもが待っている。御所(ごしょ)へ行っていた萌黄もそろそろ帰っている頃だろう。
 帰ったら鶯が出迎えてくれる。

『おかえりなさい。お疲れさまでした』

 炊事中の土間(どま)から出てきて、帰ってきた黒緋を出迎えてくれるのだ。
 今日もいつものように迎えてくれるだろう。今朝の朝餉(あさげ)の時、昨夜のことなど何もなかったように振る舞ったように。
 黒緋は複雑だった。
 鶯が何もなかったように振る舞うのは萌黄のためだ。三日夜餅(みかよのもちい)の最中なので萌黄を傷つけてしまうと思ったのだろう。
 それは黒緋も理解できることだ。
 萌黄を天妃として迎えるなら、秘密にしてくれるのは黒緋にとっても都合(つごう)のいいことである。
 しかし無かったことにされて苛立(いらだ)ちを覚えたのもたしかだった。
 鶯にとって自分はその程度(ていど)の男なのかと理不尽な怒りを覚えるほどだ。

「俺は(ろく)でもない男だな……」

 一人、ぽつりとごちる。
 自分がこんなにも(おろ)かだとは思わなかった。
 過去に複数の女性を(めと)って平等に愛したことがある。しかし天妃を心から愛し、複数を平等に愛するなどできなくなったのだ。
 それなのに鶯に()かれていく自分を止められなかった。
 天妃以外を愛することはないと決めていたのに、どうしても鶯が欲しくなった。鶯を愛してしまったのだ。
 三日夜餅(みかよのもちい)中の萌黄と肌を重ねる夜よりも、鶯を手放したくない衝動が勝ってしまうほどに。

「今帰った」

 黒緋はいつものように寝殿(しんでん)の正門を潜った。
 しかしいつもなら出迎えてくれるはずの鶯が出てこない。声も聞こえない。
 それだけじゃない。いつもなら(にぎ)やかな子どもの声も聞こえるはずなのに、それすらも聞こえなかった。

「鶯……?」

 不審(ふしん)に思っていると、少しして萌黄が血相(けっそう)を変えて寝殿の奥から飛び出してきた。

「大変ですっ、大変です! 鶯と紫紺様と青藍様がいないんです!」
「なんだと!? なにがあった!」
「……三人は出かけたきり帰ってこないんです。式神の女官によると昼餉の後に鶯が出ていって、紫紺様と青藍様が後を追いかけたとか。それから帰ってきていません」
「っ……」

 黒緋の全身から血の気が引いた。
 鶯は出ていったのだ。
 昨夜、黒緋は引き止めるために鶯を抱いたが、鶯の気持ちは変わっていなかった。
 鶯は黒緋に抱かれながらも別れを決意していたのだ。
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