天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「天帝、私は本当に……天妃なんでしょうか?」
「何度も言っているが、お前はこの地上で(もっと)も天妃に似た神気を宿している。それはお前だけだ」

 黒緋がどんなに鶯が天妃だったらいいのにと望んでも、鶯からは一切の神気を感じない。それが事実なのだ。
 だが、そんな黒緋の言葉に萌黄は首を横に振った。そして。

「もしそうだとしても、私は貴方様(あなたさま)にとっての天妃なんですか?」
「……どういう意味だ」

 黒緋が(いぶか)しむ。
 (けわ)しい顔になった黒緋に萌黄は(ひる)みそうになったが、まっすぐに言葉を続ける。

貴方様(あなたさま)にとっての天妃とはなんでしょうか?」
「決まっている。天妃は俺の唯一であり、最愛だ」

 黒緋ははっきりと答えた。
 その言葉に迷いはない。天妃を取り戻すためだけに地上に降りたのだから。
 だが、黒緋の答えに萌黄が少し困った顔になる。

「それは本当に私なんですか?」
「萌黄……?」
貴方様(あなたさま)の唯一は私なんですか? 私が最愛なんですか?」
「そ、それは……」

 黒緋は答えに()まった。
 この答えは簡単だ、愛していると言えばいい。お前だけだと言えばいい。そうすればずっと探していた天妃が戻ってくる。
 しかし、言葉が出てこない。
 二人の間に沈黙が落ちた。
 その沈黙に、押し倒されたままだった萌黄がゆっくりと身を起こす。
 そんな萌黄の動きを黒緋が制止することはない。黒緋も一緒に身を起こし、萌黄の体からなんの未練もなく離れた。
 黒緋は不思議だなと思った。
 昨夜は自分の下に組み敷いた鶯に激情が抑えきれなかった。鶯にどうしようもなく欲情し、ここから出て行こうとする鶯が許せなくて強引に抱いたのだ。
 だが今、夜着を乱した萌黄を前にしても激情を覚えない。鶯に似た容姿は魅力的だが、昨夜の嵐のような激情も欲情もないのだ。
 ……その答えは一つしかない。

「萌黄。俺は、俺は……っ」
「天帝、貴方様(あなたさま)の天妃を探しに行ってください。天妃が貴方様(あなたさま)にとって最愛の存在なら、私は貴方様(あなたさま)の天妃ではないんです」

 萌黄がはっきりと言い切った。
 そこに普段のような明るさや可愛らしさはなく、まるで子どもに言い聞かせるようなそれである。
 その様に、やはり鶯に似ているなと黒緋は思ってしまう。そんな自分に苦笑した。
 鶯をひと時も忘れられない自分が少し可笑(おか)しくなったのだ。

「そうだな、萌黄。お前の言う通りだ」

 黒緋は穏やかな眼差しで言った。
 そこに(まど)いも迷いもない。
 まるで(かせ)から()かれたような清々しささえ覚える。
 黒緋は立ち上がった。

「萌黄、ありがとう。お前を振り回してすまなかった」
「いいえ。鶯を……、私の姉さまをどうぞよろしくお願いいたします」

 萌黄はにこりと微笑み、床に両手をついて頭を下げた。
 萌黄の見送りに黒緋は頷くと寝間から飛びだす。その足取りは力強く、迷いはない。
 こうして月明かりの下、黒緋は鶯を探すために寝殿を出たのだった。

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