天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
夜の山は暗闇そのもののよう。
私はぶるりっと寒さを感じて目が覚めました。
見れば囲炉裏の火が消えかけています。
私にくっついて眠っている紫紺と青藍が寒くないように抱き寄せました。
まだ寒い季節ではありませんが夜の山は空気が肌寒くなるものです。
夜明けまでまだ遠く、もう少し眠ろうと私も目を閉じる。
でもふいに、――――ガサリッ、ガサリッ。足音らしきものが聞こえました。
野犬でしょうか。それとも山賊や盗賊の類いでしょうか。警戒しなければ。
眠っている紫紺を起こします。
「紫紺、起きなさい。紫紺」
「うんー……、……なに?」
「誰か来ました。ほら目を覚まして」
「えっ」
紫紺が事態を察してすぐに目を覚ましてくれました。
私は帯紐で青藍をおんぶします。でも青藍は無理やり起こされて不機嫌になってしまう。
青藍の瞳がうるうる潤んで泣き出しそうになりましたが。
「せいらん、ちゅちゅちゅっだ。ゆびすってろ」
「あむっ。……ちゅちゅちゅっ」
泣き出す寸前、紫紺が青藍に指吸いをさせました。
青藍は自分の親指をちゅちゅちゅ。涙目ながらも誤魔化されてくれました。
ぴりぴりした緊張感が漂う中、私と紫紺は物陰に隠れて外の様子を窺います。
月明かりの下、草木の茂みから一人の男が姿を見せました。
「っ……」
現われた男に息を飲む。
それは羅紗染だったのです。
動揺しました。どうしてこんな場所に羅紗染が……。
息をひそめて羅紗染の動向を窺います。
羅紗染は廃集落に入ってくると、迷いのない足取りで集落の真ん中で立ち止まりました。
そして、ぶつぶつと呪詛のようなものを唱えだす。
その異様な光景に全身の血の気が引いていく。
早く逃げなければと警鐘が鳴りました。
「紫紺、逃げましょう。ここにいてはいけません」
嫌な予感がしました。
最近、都の結界がいくつも破壊されていました。黒緋や離寛の調べによると犯人は羅紗染らしいとのこと。羅紗染は危険すぎるのです。
見つかる前に逃げなければ。
私は紫紺を連れて物陰から出ました。羅紗染の死角を辿って進んでいましたが。
「――――どこへ行く。尊い子どもたちの母君よ」
「っ!」
びくりっと肩が跳ねました。
おそるおそる振り返ると、羅紗染はニタリッと歪んだ笑みを浮かべて私を見ていました。
異様な気配と重圧感に緊張が高まりました。
紫紺も警戒を強めていて、私は紫紺の手をぎゅっと握りしめて羅紗染を見据えます。
「どうしてあなたがここにいるのです……!」
「どうしてだと? そんなの決まっている。私の悲願を叶えるためだよ」
「悲願?」
「そうだ。一度は敗れた悲願。だが、それが今夜とうとう叶えられる! 四凶復活という悲願がな!!」
「四凶……っ」
その言葉に背筋が冷たくなりました。
四凶とは伝説上の怪物ですが、絵巻物に出てくるような架空の怪物などではありません。
そして邪神の分身だという羅紗染なら四凶を復活させることも可能なのです。
「な、なぜそんな事を……!」
「なぜだと? 決まっている。邪神による絶対支配のためだ。邪神こそが天上と地上を支配する御方! 天上の天帝を殺し、必ず邪神による支配を達成させるのだ!」
羅紗染の禍々しい邪気が周囲一帯に広がりました。
まるで濁流のような邪気に飲まれそうで、私は紫紺を背後に下がらせます。