天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「鶯」

 低い声で名を呼ばれました。
 そして次の瞬間、私の体がきつく抱きしめられました。
 黒緋の両腕が紫紺と青藍ごと私を抱きしめたのです。

「黒緋様……っ」

 私はハッとして顔を上げました。
 でも目が合う前に黒緋は私の顔を肩口に伏せさせて、ぎゅっと(ふところ)に抱きしめてくれる。

「俺の笑った顔が好きだというお前が、それを俺から奪ってくれるな。頼むから……っ」

 そう言った黒緋の声は微かに震えていました。
 懇願(こんがん)の響きをもったそれに私は唇を強く引き結ぶ。でなければ大きな声で泣いてしまいそう。
 でもおずおずと顔を上げて黒緋の顔を覗きこむ。
 呼吸が触れあう距離で目が合いました。彼は少し困ったような、今にも泣きだしそうな顔をしています。
 あなたのそんな顔、初めて見ました。
 (なぐさ)めてあげたくて黒緋の頬にそっと手を伸ばす。するとその手が掴まれました。
 黒緋が私を見つめて言葉を紡ぐ。

「鶯、頼むから、もう二度と俺から離れないでくれ……!」
「ぅっ、……はいっ。はい……!」

 私は泣きながら何度も頷きました。
 私の返事に黒緋は空を(あお)ぎ、長い、長いため息をつく。それは安堵(あんど)のため息。
 黒緋は私と紫紺と青藍をまたきつく抱きしめると、名残り惜しげにゆっくりと離れます。

「今からすべて終わらせる。すべてに決着をつける」

 そう言うと四凶(しきょう)を見据えました。
 紫紺も黒緋の抱っこからぴょんっと飛び降ります。

「ちちうえ、オレもたたかう!」
「ああ、お前にも戦ってもらう。だが無茶はするな。俺の目の届くところにいろ」
「むっ。どうしてそんなこというんだ! オレはつよいぞ、ちゃんとたたかえる!」
「そうだな。お前は強い。しかしお前になにかあったらどうする。俺はみんなで帰りたい。万が一などということは決して起こしたくない。誰一人(うしな)いたくないんだ。帰るぞ、全員で」
「……。……そっか。それなら、わかった」

 紫紺が照れくさそうに頷きました。
 紫紺が納得すると黒緋は次に離寛を見ました。
 今まで離寛が四凶(しきょう)の動きを押さえてくれていたのです。
 四凶は離寛の鎖で拘束されているけれど、激しく暴れていて今にも(くさり)(くだ)けてしまいそう。離寛が神気を発動しながら手を振ります。

「おい、もうそろそろ限界だぞ。こっち頼む」
「ああ、分かっている。待たせて悪かった」
「悪いと思ってるなら最初からちゃんと捕まえとけよ」
「耳が痛いな。だが今回ばかりは俺も反省している」
「そうだな、お前はちょっと反省したほうがいい」
「……容赦ないな」

 二人は軽い調子で会話するけれど、それとは裏腹に神気が高まっていきます。
 そんな二人の大人の真ん中で小さな紫紺も神気を高めました。
 そして、ガシャーーーーン!!!!
 とうとう(くさり)(くだ)けました。
 拘束(こうそく)から解放された四凶が黒緋と紫紺と離寛に猛然と襲い掛かります。
 怪物は四体。黒緋が渾沌(こんとん)檮杌(とうこつ)に対峙し、紫紺が窮奇(きゅうき)、離寛が饕餮(とうてつ)を引き受けました。
 こうしてそれぞれが対峙(たいじ)して四凶(しきょう)の分断に成功します。前回の討伐ではできなかった陣形(じんけい)で、これで四体は連携できなくなります。黒緋はこの時を待っていたのです。
 前回は黒緋や名のある武将しか四凶に対抗できませんでしたが、今回は私たちの子どもである紫紺が四凶(しきょう)に対抗できるほどの力を持ってくれました。これ以上の喜びはありません。
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