天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
はじめての恋
翌日。
昼餉の後、私は庭園の掃除をしていました。
庭帚で玉砂利を整えていきます。丁寧に見栄え良く、まるで川の流れを表現するように。斎宮では毎日のように庭掃除をしていたので得意なのですよ。
「綺麗にできました。しばらく誰も歩いてほしくないですね」
うんうん頷いて出来栄えに満足します。
広い庭園を見回して、ふと池で視線が止まりました。
庭園の真ん中にある広い池。朱色の橋が架かった趣のある池ですが、貴族の屋敷ならどこにでもあるような池です。
でも七日後の満月の夜、この池に蓮の花が咲いてそこから赤ん坊が生まれるのだといいます。
にわかに信じがたい……。
そもそもこの池に蓮の花はないし、赤ん坊が蓮から生まれるなんて聞いたことがありません。
やっぱりからかわれたのでしょうか……。一抹の不安を覚えてしまう。
でも、いえいえいえいえと首を横に振って不安を散らします。
黒緋はそんな偽りを口にするような人に見えません。なにより私にそんな偽りを仕掛けて得することはありません。黒緋は強い力を持った高名な陰陽師なので、きっとほんとうに赤ん坊が生まれてくるのでしょう。
私は下腹部に手を当ててみます。そこに膨らみはないけれど。
「よく分かりませんが、いるんですよね。元気に生まれてきてください。待っていますからね」
私はそっと語りかけました。
できれば強い子がいいですが、今は無事に誕生してくれることを願います。黒緋もとても楽しみにしているんです。
私はまだ見ぬ赤ん坊に思いを馳せましたが、その時、見知らぬ男が門を潜って敷地に入ってきました。
女性の目を引くような見目が整った男です。しかも男は腰に太刀を携えていて、ひと目で貴族の武官だと分かる身なりです。
なんとなく見ていると、視線に気づいた男が振り返って驚いた顔をしました。
「えっ、ええ!? どういうことだ!」
突然素っ頓狂な声を上げる男。
失礼すぎます。あまりに失礼で眉間に皺を刻んでしまう。
でも不機嫌になる私に構わず男は驚いた顔で近づいてきます。
「あの、あんた、いったい誰!?」
失礼すぎる男は私を指差して言いました。
あまりの無作法に眩暈までしそう。私の眉間の皺がさらに深くなります。
「あなたの名は? 人を指差す前に名乗るべきではないですか?」
「ああそうだったっ、ごめんごめんっ! 俺は離寛。黒緋の友人だ」
「黒緋様のご友人でしたかっ。それは失礼しました。では離寛様、どうぞこちらへ」
「ちょ、ちょっと待ってっ。その顔で様付けされるのはちょっと……。離寛でいいから」
「え?」
この人いったいなんなんでしょう……。
敬称をつけずに呼べなんて不審が隠せません。
「そういうわけには参りません。見知らぬ殿方をそのように呼ぶなんて。ましてや離寛様は黒緋様のご友人だというのに」
「いや、そうなんだけどそうじゃなくて……。ああ〜、その顔で離寛様とかほんと勘弁してくれよ……」
離寛が空を仰いで言いました。
私はますます訳が分からなくなりました。不審たっぷりに見つめていると屋敷から黒緋が出てきました。