天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜


 陽が空の真上に昇る時刻。
 私は昼餉の御膳(ごぜん)を持って黒緋の寝間に向かっていました。
 朝目覚めてから黒緋とお話しし、その後からは休んでもらっているのです。黒緋はもう大丈夫だと言っていましたが、せめて今日だけは寝床で過ごしてほしいとお願いしました。
 そのため昼餉は寝間で食べてもらおうと運んでいたわけですが。

「黒緋様、何をしているのですか!」
「見つかってしまったか……」

 眉を吊り上げた私に黒緋が悪びれなく言いました。
 そう、黒緋がいたのは寝間ではなく中庭。
 しかも手には木刀が握られていて、はだけた着物から覗いている(たくま)しい胸板には汗が滲んでいました。病み上がりだというのに木刀の素振りをしていたのです。

「まったく、あなたという人は困った人ですね。あれだけ今日は安静にしていてほしいとお願いしたのに」
「退屈だったんだ」
「子どもみたいなこと言わないでください」
「それなら鶯が相手をしてくれないか?」
「私に暇つぶしの相手をしろと?」
「ああ、お前の(まい)が見たい。舞ってくれないか?」

 思わぬ要望に目を瞬きました。
 でも私が人様に自慢できる唯一の特技です。それを黒緋に望まれるのは嬉しいこと。

「分かりました。それなら今日は安静にすると約束してくれますね?」
「もちろんだ」
「では喜んで。どうぞこちらへ」

 私は御膳を寝間に置くと、庭にいた黒緋を促して寝間の座布団に腰を下ろしてもらいました。
 お湯で絞った手ぬぐいで黒緋の首元や背中の汗を拭き、額に手を当てて体調を悪くしていないか確かめます。最後に着物を整えて微笑みかけました。

「どうやら体調は悪くしていないようですね」
「なんだ、疑っていたのか」
「心配していただけですよ。ではなにを舞いましょうか?」
「天地創造の神話を頼みたい」

 意外な舞に首を傾げてしまう。

「……いいんですか?」
「何がだ?」
「その、あなたは……」

 天地創造の神話の(まい)はあまりお好きではなかったはず……。
 でも黒緋は普段と変わらない様子で所望してきました。私の気のせいだったのでしょうか。

「どうした、鶯」
「……いいえ、なんでもありません。天地創造の神話ですね」

 気を取り直して扇を手にしました。
 両手をついて挨拶し、扇を開いて天地創造の神話の舞を舞い始めます。
 悠久の物語を舞いながらスゥッと目線を流す。
 視界に映った黒緋は真剣な顔で舞を見ていましたが、この舞がもっとも盛り上がる天妃が地上へ落ちる場面になると一瞬だけ崩れます。今にも涙を流しそうな、そんな悲しい顔をするのです。
 それは(わず)かな変化ですが、私のなかで深く印象づけられるもの。
 疑問に思いながらも舞い続けましたが、ふと黒緋が立ち上がりました。
< 29 / 141 >

この作品をシェア

pagetop