天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「黒緋様、体の調子はどうですか? 無理していませんでしたか?」
「ハハハッ、鶯は心配性だな。俺は大丈夫だ。さっきも元気に舞ってみせただろう」
「そうですけど……。でも、もしなにかあったら笑いごとでは済みません。もう舞は終わりです。約束どおり今日は休んでくださいね? 昼餉を食べたら寝床に横になってください。見張っています」
「見張るのか? 厳しいな」
「見張ります。また素振りを始められては困りますから」

 私はそう言い聞かせると、渋っている黒緋の前に昼餉を並べます。
 黒緋は「真面目すぎるぞ」とムムッと拗ねた顔をしましたが、安静中ながらしっかり完食してくれました。



 黒緋の昼餉が終わり、片付けをするために土間に引っ込みました。
 でも見張ると宣言したとおり、片付けが終わればまた黒緋の寝間に向かいます。
 御簾を少しだけめくって黒緋が寝床に横になっていることを確かめました。

「ちゃんと眠ってますね」

 黒緋の落ち着いた寝顔にほっとしました。
 体調を確認しておこうと寝間に入り、静かに近づいて枕元に正座します。
 額へとそっと手を伸ばす。手の平に感じる体温は正常で安心しました。

「もう大丈夫ですね。よかった」

 小さく呟いて、額から手を引っ込めようとする。でもその前に。

「わっ、起きてたんですか?」

 突然手が掴まれてびっくりしました。
 驚く私に黒緋が微睡(まどろみ)のなかで微笑みます。

「寝ていた。でもあんまり気持ちよくてな」

 黒緋はそう言いながら私の手を自分の額に戻しました。

「こうしていてくれ。こうされると気持ちいいんだ」
「黒緋様……」
「どうしてだろうな。お前が側にいると落ち着くんだ……」

 黒緋はそう言うとまた目を閉じてしまう。
 少しして静かな寝息をたて始めました。

「……眠ったんですか?」

 問いかけても返ってくるのは寝息だけ。
 黒緋は寝惚(ねぼ)けていたのでしょうか。
 でも、寝惚けていただけだとしても嬉しい。
 こうして側にいることを望まれたことが嬉しくて仕方ない。
 ……ああ、ため息が漏れてしまう。
 鼓動が高鳴って、胸がざわついて、苦しいほど締めつけられる。泣いてしまいそうなほどの幸福感に心が満たされていく。

「黒緋様……」

 静かに名を呟きました。
 その名を口にするだけで胸がじくじくと甘く痛んで、……ああ、愛おしいと私は思っているのですね。
 黒緋が愛おしい。
 好きで、とても好きで、恋しているのだと気づきました。
 気づいた恋心は春の木漏(こも)()のように暖かくて、優しく心を満たすもの。
 でもね、不思議なのです。優しいのに胸が痛い。切なくなるほどに。
 これが恋というものなのですね。

「ゆっくり休んでくださいね」

 私は黒緋の寝顔を見つめて言うと、彼の額にかかった前髪を指でそっとどけてあげました。





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