天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「ありがとうございました。お待たせしました」

 一曲終わり、私は黒緋に両手をついて礼をしました。
 黒緋は感心した顔になっています。

「思わず聞き入っていた。琴の腕も申し分がないな」
「雅楽はひととおり習得していますから」
「さすが斎宮の白拍子だ。紫紺も聞き入っていたようだぞ」

 そう言って黒緋が紫紺を覗きこみます。
 紫紺は黒緋をじっと見上げて、「あうー、あー」となにやらおしゃべり。黒緋も目を細めました。
 そんな黒緋と紫紺を見ているだけで温かな気持ちになります。

「どうぞ抱っこしてあげてください」
「こんなに小さいと緊張するな」
「ふふふ、昨夜は私ごと抱きあげてぐるぐるしてたじゃないですか」
「昨夜は感激して深く考えてなかったんだ」
「なんですかそれ」

 昨夜を思い出してクスクス笑ってしまいます。
 目が回りそうになって大変だったんですから。

「あなたの子ですよ。抱っこしてあげてください」
「そうだな」

 黒緋は少し緊張した顔になりました。
 ゆっくりと紫紺に両手を伸ばし、大きな手が小さな紫紺を抱き上げます。
 すると黒緋の頬がほろりと(ゆる)んで、顔がとても優しくなります。
 分かりますよ、その気持ち。()(ひら)に伝わる赤ん坊のぬくもりは何ものにも()えがたいものです。

「なかなか悪くないな」
「そうですよね。私も昨日からずっと感動してるんです」
「俺も同じ気持ちだ。ほら紫紺、たかいぞ」

 たかいたかいをするように掲げると、紫紺が「あぶー」と声をあげて短い手足を伸ばしたり(ちぢこ)ませたりバタつかせました。
 でも紫紺の顔は赤ん坊とは思えぬ憮然(ぶぜん)としたもので……。

「……これは喜んでいるのか?」

 黒緋が困惑した顔で私に聞いてきました。
 そんな様子に私は小さく苦笑してしまう。
 そう、私も昨日から薄々(うすうす)気づいていたのです。紫紺はちょっと表情の変化に(とぼ)しいというか、つねに真顔というか、憮然(ぶぜん)としているというか、無愛想(ぶあいそう)というか。やはり(はす)から生まれてくるとそんなかんじになるのでしょうか。
 でもね、私は紫紺に笑いかけます。

「きっと喜んでいますよ。たかいたかいが楽しいのでしょう。ね、紫紺?」
「そういうものか?」
「そうですよ。だってこんなに動いてます。喜んでないはずありません」

 きっと喜んでいます。
 私も紫紺のお世話をするようになってまだ一日もたっていませんが、それでも分かるのです。
 だってこの子はあやしている時によく手足をバタバタして反応してくれますから。短い手足を伸ばしたり縮こませたりする姿はとてもかわいいのです。

「紫紺、よかったですね」
「あうー」
「また黒緋様に遊んでもらいましょう。こちらへどうぞ」

 私が両手を差し出すと紫紺を渡されました。
 小さな体を抱っこして、ああそろそろ腰布を取り換えてあげましょう。でないとまたお漏らしされてしまいます。
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