天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「あなたに名を呼ばれることがこんなに嬉しいなんて」
「うういしゅ、あーうー」
「はいはい、鶯ですよ。そしてこちらがあなたの父上です」

 黒緋に向き直させました。
 黒緋も改まった表情になると、「お前の父上だ。黒緋だぞ」と言葉をかけてくれました。
 でも紫紺はきょとんとした顔で見つめたままで。

「あう?」
「……まだ難しかったようだな」
「そうですね。『父上』ですから」

 私と黒緋は顔を見合わせて小さく笑ってしまいました。
 もう少し時間がかかりそうですね。
 まだ生まれて一カ月なのです。これからいろんなことを学んでゆっくり成長していけばいいのです。
 でも黒緋は紫紺を頼もしそうに見つめました。そして。

「成長は順調だな。あと少ししたら初めてもいいかもしれん」
「始めるってなにを」
「決まっているだろう。鍛錬(たんれん)だ。紫紺を誰よりも強くする」
「ええっ、まだ早くないですか? 紫紺はまだこんなに小さいのにっ……」
「早ければ早い方がいい」

 黒緋は当然のようにそう言うと、私の腕のなかにいた紫紺を抱き上げました。
 紫紺を追いかけるように手を伸ばしましたが、その手は届かずに空を切る。
 黒緋は紫紺を抱き上げて遠くを見ていたのです。ここではないどこかを。

「黒緋様……」

 小さな不安を覚えてその名を呼びました。
 すると振り返ってくれてほっとします。
 黒緋は優しい眼差しで私を見つめてくれたのですから。

「鍛錬、始めるんですね……」
「ああ、強い子どもが欲しいと言っていただろう?」
「はい……」

 そう、黒緋は最初から強い子どもが欲しいと言っていました。
 どうして強い子どもを欲しているのか分かりませんが、黒緋が真剣だということだけは分かります。
 私はなにも言えなくなってしまう。
 どうやら私は浮かれていたようです。紫紺が生まれてから、黒緋と私と紫紺の三人ですごすのがとても楽しかったから。夢みたいに楽しかったから。
 でも、私にはせねばならないことがあります。
 紫紺を強い子どもに育てること。
 鬼神を討伐して斎王を守ること。
 私は居住(いず)まいを正して床に両手をつきました。

「黒緋様、私も自分にできることを精一杯いたします。どうかよろしくお願いいたします」

 私が頭を下げると黒緋が頷いてくれます。
 紫紺は私と黒緋を繋いでくれた約束の存在。
 黒緋が紫紺を強くしたいというのなら私はそれを支えなければならないのです。




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