天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
黒緋と紫紺が鍛錬に行って半日が過ぎました。
空は夕暮れの色に染まって、西の山間に日が沈んでいく。
私は庭園に面した渡殿で針仕事をしていました。紫紺は成長が早いので着物の裾を直してあげなければならないのです。
針仕事をしながら正門を見つめました。
そろそろ帰ってくると思うのですが、黒緋も紫紺もまだ帰ってきません。
針仕事に集中しなくてはと思うのに、なにかあったのかもしれないと嫌な想像ばかりしてしまいます。
こうして落ち着かない気持ちで過ごしていると、ふと「今帰った」と正門から黒緋の声がしました。
私は直していた着物を置くと急いで出迎えます。
「おかえりなさい! って、紫紺!?」
黒緋は片腕でぐったりした紫紺を抱えていたのです。
しかも全身傷だらけで「ぐすっ、ぐすっ」と涙ぐんでいました。朝の元気な姿は欠片もありません。
「紫紺、怪我だらけじゃないですか! なにかあったんですか!?」
こんな三歳の子が怪我だらけになるなんて……。
私は黒緋に抱っこされていた紫紺を受け取りました。
すると紫紺は私にぎゅっとしがみついて、肩に顔をうずめて嗚咽を噛みしめています。
「どこか痛いんですか? 紫紺、顔を上げてください」
でも紫紺は顔をうずめたまま首を横に振りました。
なにがなんだか分かりません。
答えてくれない紫紺におろおろしてしまいます。
「黒緋様、いったいなにがあったんですか?」
「心配するな、紫紺は鍛錬についていけなくて悔しがっているだけだ」
「こんな傷だらけになるほどの厳しい鍛錬を?」
「軽い体力作りだ。ついでに猪が出てきたから戦わせてみた」
「は!?」
衝撃に思わず大きな声が出ました。
猪? 猪ってあの猪ですよね! 三歳が猪と戦うなんて……!
「な、なに考えてるんですか! 紫紺はまだ三歳なんですよ!?」
私は黒緋にそう声をあげると、抱っこしている紫紺の体を確《たし》かめます。
「大丈夫ですか? 痛いところはありませんか?」
「うぅ、あしいたい。いのししがつっこんできたんだ……」
「なっ!」
言葉を失いました。
ああ眩暈がしそうっ……。
「今すぐ手当てしてあげますからね!」
私は紫紺を抱っこして寝殿に駆けこんでいきます。
でもその時。
「鶯、湯の支度はできてるか? 汗を流したいんだが」
「出来てますよ! お好きにどうぞ!」
私はそう声を上げると紫紺を連れて奥へ引っ込みました。
後ろでは黒緋が「なにを怒ってるんだ……」と首を傾げていましたが、今は紫紺の手当てが最優先です。