天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「実は……」

 黒緋は珍しく言葉を(にご)します。

「なにかあったんですか? ところで紫紺はどこです。姿を見ないのですが」

 一緒にいるはずの紫紺がいません。
 周囲を見回す私に黒緋がますます困った顔になります。
 そして。

「…………紫紺ならそこだ」

 そう言って黒緋が指を差した先は狭い物置部屋でした。

「え?」
「実は昼休憩をしている時に逃げだしたんだ。川に水を()みに行くと言ってそのままここにな……」
「鍛錬から逃げたというのですね……」

 やはり三歳の紫紺には厳しいものだったのです。
 私は紫紺が閉じこもっている物置部屋を見つめました。きっと今、あの木戸(きど)の向こうで泣いています。
 しかし黒緋は(けわ)しい顔で木戸を見据えました。

「さっきから呼んでるんだが返事もしない」
「……黒緋様、やはり少し厳しくしすぎたのではないですか?」

 私はそう言ってみましたが黒緋は(けわ)しい顔つきのままです。

「強くなるには必要なことだ」
「そうかもしれませんが」
「仕方ない。木戸を破壊する」
「えええっ、待ってください! 絶対にいけません!」

 私は慌てて黒緋の前に飛び出しました。
 木戸の破壊はあまりにも乱暴すぎです。

「お願いします。それだけはやめてください!」
「邪魔するな。こうしている時間も()しい」
「そんなっ……」

 唇を噛みしめました。
 黒緋が紫紺を強くしたいことはよく分かっています。その思いは強く、真剣であることも。
 でも少し横暴(おうぼう)すぎです。これ以外のことはとても寛大(かんだい)で優しいのに、この件に関してだけは驚くほど強引に叶えようとするのですから。

「黒緋様、どうか紫紺にまだ無理をさせないでください。あの子はまだ三歳です。手も足もまだまだ小さいのです。幼い子どもには厳しすぎます」
「無理をさせた覚えはない。あれは俺の大切な息子だ」
「それなら……」

 お願いしようとして言葉に詰まりました。
 この件に関して、きっと何を言っても聞き入れてもらえないでしょう。それほどまでに黒緋の意志は固いのです。

「……分かりました。では木戸を破壊して無理やり外に出すのだけはやめてください。私が紫紺と話します」

 私はそう言うと、紫紺が閉じこもっている物置部屋の木戸を見つめました。
 深呼吸をひとつして、コンコンコン。木戸を叩きます。
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