天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「黒緋様、今日の鍛錬で紫紺が(いのしし)を狩ってきてくれるそうですよ」
「そうか、それは楽しみだな」
「はい」

 今日の鍛錬は離寛が指導してくれています。
 鍛錬の合間(あいま)に離寛が猪狩りに付き合ってくれるそうで紫紺も楽しみにしていました。
 私は「ふふっ」と思い出し笑いをしてしまう。初めての鍛錬で泣きながら帰って来たのを思い出したのです。

「紫紺が狩りまでするようになるなんて不思議です。鍛錬を嫌がっていたこともあったのに」
「そんなこともあったな。ずいぶん前のことのように思える」
「そうですね。紫紺はとても強くなりました」

 今も鍛錬中の紫紺が思い浮かんで笑みが零れました。
 黒緋から子どもが欲しいと初めて言われた時は驚き、戸惑いと不安ばかりでした。でもこうして紫紺という子どもを得たことは私の喜びになりました。
 それが天妃のためだと思うと胸がキリリと痛みますが、今ここに天妃はいないのです。いるのは黒緋と私と紫紺だけ。
 今この時間がずっと続けばいい。
 今この地上で黒緋の一番近くにいて、側にいることを許されているのは自分だけ。ずっと、ずっとこの時間が続けばいい。

「そういえば、離寛が都の見回りを紫紺に手伝わせたいと言っていた」
「離寛様が?」

 離寛は黒緋の古くからの友人で、天上の武将の一人でした。黒緋が天妃を探すために地上へ降りた時に一緒に降りてきたのだそうです。

「ここ最近、(みやこ)の結界が何度か破壊されている。そのせいで(みやこ)魑魅魍魎(ちみもうりょう)が侵入しやすくなっていてな」
「もしかして、それは羅紗染の……?」
「ほぼ間違いない、あいつの目的は俺への復讐だ。また四凶(しきょう)を復活させる気だろう」

 黒緋の目が()わりました。
 離寛の調査で羅紗染が邪神(じゃしん)分身(ぶんしん)だということが分かりました。
 現在、邪神は黒緋に封じられていますが、その力の一部が()れでて分身を作ったのです。
 私は黒緋を見上げました。
 怖い顔をしていますね。四凶(しきょう)を封じているのは天妃です。天妃が地上に落ちた時のことを思い出しているのでしょう。

「……大丈夫ですか?」

 声を掛けました。
 彼の気を引くように、心を天妃から引き離すように。
 黒緋は私を見て優しく微笑んでくれます。

「不思議だな。お前といると安らぐんだ。いつも側にいてくれてありがとう」
「いいえ、私こそ」

 心が甘く締め付けられました。
 私もあなたといると嬉しくて、楽しくて、安らいで。心がぬくもりでいっぱいになるのです。
 私の心を満たすぬくもりが、あなたも同じでありますように。
< 68 / 141 >

この作品をシェア

pagetop