天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜


 翌日の朝。

「うっ……ん」

 重い瞼を開けると、ぼんやりした視界に映るのは見慣れぬ天井でした。
 御簾(みす)の隙間から朝陽が差し込んでいて、その暖かな温もりにほっとため息がもれます。

「……ここは、いったい……」

 ぼんやり呟くも、ハッとして飛び起きました。
 昨夜のことを思い出しました。私は鬼に襲われたところを見知らぬ男に助けられたのです。
 ここは昨夜の男の屋敷でしょうか……。
 見慣れぬ室内を見回す。
 御簾の向こうには玉砂利の庭園が広がっていました。大きな池に朱色の橋がかかった立派な庭園です。寝床の調度品もひと目で一級品だと分かる品々で、それだけでここが高貴な身分の男の屋敷だと分かります。

「目が覚めたようだな」

 御簾の向こうから声がかけられました。
 その声に緊張します。
 それは昨夜の男の声。鬼を一瞬で消滅させた男は陰陽師だと言っていました。
 でもまずお礼を伝えるのが先です。

「あの、昨夜はありがとうございました……」
「礼なんていらない」

 低く穏やかに響きながらも甘さを感じさせる声。それだけで男の鷹揚(おうよう)で誠実そうな雰囲気が伝わってきます。

「入ってもいいだろうか」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。あの枕元にある打掛(うちかけ)を身に着けてもいいでしょうか」
「お前のために用意したものだ。好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」

 慌てて寝床を下りると、枕元に置いてあった打掛を羽織りました。
 打掛の下が夜着なので殿方(とのがた)に対面するのは(はばか)られますが、長くお待たせすることはできません。居住まいを正して迎えます。

「どうぞ、入ってください」

 正座して両手を床につき、屋敷の主人である男を座礼して出迎えました。
 礼儀知らずの田舎者だと思われたくありません。伊勢にいる斎王や巫女や白拍子の恥にもなってしまう。

「おはようございます。改めて礼を言います。昨夜は助けていただいてありがとうございました」
「礼はいらない。それよりよく休めたか?」
「おかげさまで」
「顔を上げろ」
「はい」

 ゆっくり顔を上げました。
 改めて目にした男の容貌に内心胸が高鳴ります。夜に見た容貌も冴え冴えとして凛々しいものでしたが、こうして朝の明るい日差し下で見るとそこに穏やかな優しさを纏うのです。
 今まで目にしてきた貴族の男は(ろく)なものではなかっただけに、その違いに驚きます。いいえ、彼はただの貴族ではありませんね。あの鬼を一瞬で消滅させるほどの力を持つ陰陽師です。さぞ高名な陰陽師なのでしょう。

「私は(うぐいす)と申します。旅の白拍子(しらびょうし)です」
「俺の名は黒緋(くろあけ)陰陽師(おんみょうじ)をしている」

 男は黒緋と名乗ると、緊張する私に優しく微笑みかけてくれました。
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