天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「あなたが感知したとおり鬼神は討伐されました。もうなにも心配することはないんです」
「うん、ほんとうに良かったっ。これで伊勢のみんなも安心して暮らせるわ」
「はい、良かったですね」

 私も笑顔で頷くと、黒緋を紹介することにします。
 鬼神を討伐してくれたのは黒緋なのです。

「萌黄、紹介します。彼は黒緋様といって、……黒緋様?」

 そう言いながら黒緋を振り返って、首を傾げました。
 黒緋は食い入るように萌黄を見つめていたのです。
 そして萌黄も目を見開き、黒緋を凝視(ぎょうし)したままカタカタと震えだしました。

「う、鶯、この御方(おかた)は、……に、人間じゃないよね……?」
「萌黄?」
「こ、この御方(おかた)は、(てん)(ひと)っ……!」

 (てん)(ひと)、そう言った萌黄の声は畏怖(いふ)に震えていました。
 萌黄はカタカタと震えながら地面に膝をつき、黒緋に向かって両手をつきました。

「て、てて天帝におかれましてはご機嫌麗しくっ。私は斎宮にて斎王を務めている萌黄と申します……っ」

 萌黄は驚愕と畏怖(いふ)に震えながらも(ひたい)を地面につけるほど座礼しました。
 生まれながらに強力な神気に恵まれている萌黄はひと目で黒緋が天帝だと見抜いたのです。

「顔を上げてくれ、萌黄。そんなことはしなくていい」

 黒緋もハッとして我に返ると萌黄に駆け寄りました。
 そして萌黄の肩を抱き、手を取って立ち上がらせます。

「黒緋だ、萌黄。俺は黒緋だっ」

 黒緋が訴えかけるように言いました。
 でもその勢いに萌黄は目を丸めるだけです。

「黒緋さま……」
「そうじゃないっ。いや、忘れているのか? だが」

 黒緋は混乱したように呟きます。
 しかし握りしめた萌黄の手は離しません。
 とても大切そうに萌黄の手を握り、今にも泣きだしそうな顔で見つめているのです。

「萌黄、お前に会えて嬉しいよ。とても、とても嬉しいんだ……っ」

 黒緋は噛みしめるように言いました。
 黒緋の切々とした声と眼差しに萌黄はただ戸惑うばかりになっています。
 私はそんな二人を呆然(ぼうぜん)と見つめていました。
 ざわざわした嫌な予感が背筋を()いあがります。
 心臓を冷たいなにかが()めあげ、全身から血の気が引いていく。
 私は今、冷たくなっていく指先を握りしめていることしかできませんでした……。




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