天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
邪神によって四凶が目覚めた。
邪神は封じたが、四凶は天妃によって封じられた。そう、天妃がその身と引き替えに四凶を封じたのだ。
黒緋は天妃を失い、絶望した。天妃を一度も愛したことがなかったことを後悔した。
そして天妃を失って初めて後宮にある天妃の部屋へ入った時、物が少ないがらんっとした部屋の中である物を目にした。
それは黒緋が手折った庭木の枝である。
そう、黒緋が気まぐれに天妃に贈った枝だったのだ。
これを贈った時、天妃が好きなものかとか、天妃が喜びそうなものかとか、そういうことを深く考えたわけではない。気まぐれだ。本当に気まぐれ。
それなのに。
「……お前は、ずっと大切にしていたのかっ……」
天妃は庭木の枝を大切に生けていた。
枯らさぬように、蕾が花を咲かせるように、大切に大切に。それは黒緋が贈ったものだからだ。
黒緋はその場に膝から崩れ落ちた。
涙があふれて止まらなかった。
自分を殺したくなるほどの後悔に襲われる。
失ってから気付いた愛に胸が引き裂かれそうだった……。
――――そして黒緋は天妃を取り戻すために地上へ降りた。
天妃を取り戻すまで天上に帰るつもりはなく、後宮にいた妻たちとはすべて離縁したのである。
そんなある日、地上で鶯という女と出会った。
天妃によく似た容姿と声に驚いたが、彼女からは天妃の神気を一切感じない。残念だが天妃ではないのだろう。
そんな鶯に櫛を贈った時のことだった。
『すみませんっ。こうして贈り物をしてもらうのは初めてで、どういう反応をすればいいのか迷ってしまってっ……。でも、嬉しいです。贈り物ってこんなに幸せな気持ちになれるんですね』
『ありがとうございます。大切にします』
そう言って鶯は両手で受け取った櫛をそっと胸に抱きしめた。
そんな鶯を見て、ふと思う。
あの時も天妃はこういう顔をして庭木の枝を受け取ったのだろうかと。
女官に渡させたので黒緋はその時の天妃を知らない。知らないことを後悔しているのに、目の前の鶯の存在に許されたような気になってしまう。
黒緋は目の前の鶯を見ながら言葉にしがたい複雑な感情を覚えていた。
しかし、その感情に名前を付けることは許されない。
なぜなら目の前の鶯は最愛の天妃ではないからだ。
天妃以外を愛さない。黒緋はそう決めていたからだ。