愛なき政略結婚は愛のはじまりでした
「ふんっ、浩二さんに感謝するんだな。お前のような出来損ないをもらってくれるというんだから。それなのに、今日まで手こずらせやがって」

 父がそんな台詞を吐きながら、雅の手にペンを握らせてくるが、上手く反応できない。ただただ目の前のそれを呆然と眺める。

「さあ、サインしてくれるね? これからは私が君を愛してあげるから。大丈夫だ。君が子をなせなかったとしても放りだしたりはしないさ。君はこれから一生ここで私と一緒に暮らすんだよ」

 愛してあげるの言葉に雅は悲鳴を上げたくなるほどの恐怖を感じる。この男が向ける雅への愛というものがとてつもなく恐ろしい。清隆と何が違うのかと言われるとはっきりとはわからないが、雅の心も体も彼を強く拒絶している。

「おい、さっさとしろ! お前はこんなことすらできないのか!?」
「いっ!」

 父に髪を思いきり引っ張られて痛みに小さく声を漏らす。

「やめなさい。それは私のものになるんだからね。傷はつけないでくれ」
「ちっ。早くしろ」

 浩二から諫められて父は雅の髪をその手から離した。

 見方によっては、浩二が守ってくれたようにも見えるが、雅はやはりこの男に恐怖を感じる。浩二の台詞から、彼の愛は物に対するそれと同じなのだとわかってしまった。雅を一人の人として見ているわけではない。物として所有しようとしているのだ。

 こんな男と一緒になどなりたくはない。雅が愛されたいのは清隆ただ一人だ。清隆が雅を望んでくれている限りは、彼と離れる選択はしたくしない。

 雅の心がそれを強く望んでいる。雅がサインさえしなければ、離婚はできないし、この男との再婚もない。清隆のこと以外はもうどうなったっていいと、雅は持たされたペンをテーブルの上へと置いた。

 それは雅が初めて父に示す強い拒絶であった。
< 153 / 177 >

この作品をシェア

pagetop