愛なき政略結婚は愛のはじまりでした
「雅、一つ約束事をしようか」
「はい? 何でしょう?」
「これからは自分のために過ごす時間をちゃんと持ちなさい」

 責めるのではなく諭されている。彼のそれがただの押し付けではなくて、雅を思ってのことだとわかる。まるで親が子に何かを言い聞かせているかのようだ。

「レース編みでもそれ以外でも何でもいい。私や家のためではなく、自分のために自分がやりたいことをする時間を持ってほしい。できるか?」

 雁字搦めになっていた雅の固定観念を優しく解かれる。

 強要するのではなく、彼の希望として語ってくれている。どう考えても彼のためになるようなことではないのに、雅が受け入れやすいようにそういう言い方をしてくれている。さらには、雅に優しく問いかけてまでくれている。

 清隆が雅のことを大切にしてくれる気持ちが伝わってきて、嬉しいような切ないような不思議な気持ちが襲ってくる。心がざわざわとしている。

 雅にはそのざわつきの正体がまだ何かわからないから、どう対処していいのやらわからない。けれど、一つだけはっきりとわかった。清隆の問いに対して、清隆が求めている答えと自分が選びたい答えが同じであるということが。

 雅がしっかりと彼の目を見据えながら、「はい」と答えれば、清隆はそれはそれは嬉しそうに笑ってくれる。

「それでいい。それでいいんだ」

 清隆はそう言うと雅の頬にそっと触れてきた。彼の瞳と頬に触れる手の平から彼のぬくもりがじんわりと伝わってきて、雅の心が柔らかくなっていくのがわかる。

 清隆はそのまま少しの間、雅の頬を親指で軽く撫でながら、雅を優しく見つめてきたから、雅もじっと見つめ返していた。なんだか目で会話をしているようで不思議な心地だった。

 清隆は名残惜しそうにゆっくりと雅の頬から手を離すと雅の頭に軽く触れ、「邪魔して悪かったな」とだけ言って、また読書へと戻った。

 雅はこの数分の間に起こった出来事がまるで夢のようで、レース編みに戻りながらも、時折先程のことを振り返るようにぼーっと虚空を見つめていた。
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