彼に抱かれ愛を弾く 〜ベリが丘恋物語〜
私が辛い時、悲しい時、母が必ず作ってくれる甘い甘いココア。このココアを作るために、スケジュールを調整して帰って来たのだろう。

「甘いけど、美味しい」

「うふふっ、当たり前」

この自信はどこから来ているのか摩訶不思議だ。

身体がじわりと温まり、テーブルにカップをそっと戻す。

意を決して現実を告げた。

「教授からプロは厳しいって言われたの。今度のコンクールでの入賞は絶対だったのに……」

気がつけば視界が滲んでいた。

「今まで私、頑張ってきたんだよ」

瞬きと同時に涙が頬を伝う。

母はそっと抱きしめてくれた。美しい音色を奏でる手が、私の背中を優しくさする。

「一度、ピアノから離れてみる?」

「え?」

「治療に専念しなさい。美音の身体の方が大事だわ。(じん)くんもきっとそう思ってる」

「お父さん?」

「だって仁くん、美音が蚊に刺されただけで慌てるくらいだったのよ。未音の身体が毒にやられた!大変だ!病院に行くぞ!って」

「そういえば、転んで怪我した時もなんか凄かったの思い出した」

「でしょ、だから、天国から叫んでるかも。美音、耳を治せ!聞こえなくなったら大変だ!ピアノより美音の身体だ!って」

「想像できてしまう」

「気が気じゃないかもね」

「私、治療に専念する。体調が戻ったら、今までやってこなかったこととかやってみる」

「そうね」

母は優しい眼差しで髪を撫でてくれた。そして、私の左目の下にある二つ並んだ泣きぼくろに優しく触れる。父と同じ位置にあるお揃いのほくろだ。
きっと父を想いながら触れているのだろう。

カウンターテーブルの上に置いてある写真の中の父に視線を移すと、私に笑顔を向けていた。
< 13 / 151 >

この作品をシェア

pagetop