彼に抱かれ愛を弾く 〜ベリが丘恋物語〜
コンクール参加を辞退し、少しだけピアノから離れてみた。なるべくストレスを避ける生活を送り治療に専念すると、徐々に体調も良くなった。

大好きだったピアノが、いつのまにかプレッシャーとなってのしかかっていたのかもしれない。

体調が戻り、ピアノには無理のない程度に触れ、好きな曲を弾いた。コンクールのための曲ではなく、自分が弾きたい曲だけを。

そして、アルバイトもやってみようと考えた。
ちょうど、大学の掲示板にケーキショップの求人情報が貼られており、思い切って応募した。

「バイトならケーキ屋さんがいいかもね。不機嫌なお客さんはケーキなんて買いに来ないでしょ」

母の言葉も背中を押した。

よほど急を要していたのか、面接中に採用され、その日のうちに仕事を始めた。

バイトはあれよあれよという間に決まったのに、就活は全く上手くいかない。
そして、数時間前に失恋してしまった。

ため息しか出ない。

あれこれ考えていると、いつのまにか点滴が終わっていた。
看護師が点滴を外し部屋を出た後も、結局眠れずに夜が明けた。

「桃園さん、おはようございます。眠れましたか?」

神崎先生が声をかけながら私の顔を覗き込む。

「おはようございます」

「眠れなかったのね」

どうしてわかったのだろう。お医者さんだからかな?

「なんとなく……」

「お腹空いてない?」

「はい、あまり食欲がなくて」

「そう……桃園さん、立てそう?」

「はい」

「耳鼻科まで行けるかしら」

「大丈夫です、行けます」

「看護師を付き添わせるから、耳鼻科で診察してもらいましょう」

「わかりました」

「あとは主治医の指示に従ってくださいね」

「はい、ありがとうございました」

私は起き上がり、ベッドを整えると、看護師に付き添われ、耳鼻科に向かった。
主治医に診察してもらい、ナースステーションで検査の予約を入れてもらうと、薬を受け取り病院を後にした。



自宅に戻りソファーに全体重を預け、一つため息をつく。
なんとなく手にしたスマホには、俊哉からの着信を知らせる画面が表示されていた

あっ、そういえば、買った食材どうしたんだっけ? 合鍵も持って帰って来ちゃった。もう会いたくないけど、返さなきゃいけないし、どうしたらいいんだろう……

着信画面に視線を落とし、深い息を吐いた。

< 14 / 151 >

この作品をシェア

pagetop