彼に抱かれ愛を弾く 〜ベリが丘恋物語〜
作業中の凛々しい顔つきとは全く違うその表情に、父に対する熱い感情が一気に込み上げる。

「私がピアニストだってご存知なのですか?」

「その格好ですから。それに、ロビーラウンジでピアノを弾いている姿も見たことがあります」

「本当ですか⁉︎」

「ど素人の俺が言うのも何ですが、素晴らしい演奏でした」

「ありがとうございます。凄く凄く嬉しいです!また明日から頑張れます!」

「それ以上頑張ったら、益々素晴らしい演奏になりますね。俺はピアノ、いや、楽器というものに縁がないので、貴女のように楽器と自分を一体化してしまう人を尊敬します」

「尊敬なんてそんな、その言葉はそのままお返しします」

「え?」

「貴方がお仕事をされている姿は尊敬に値します」

「嬉しいことを言ってくれますね。俺も頑張れますよ。それじゃあ、失礼します」

父がその場から離れ、段々遠ざかっていく。

母は遠ざかる父の背中を追いかけた。
頭より先に足が動き、論理的思考よりも、感情的思考が強く働いた。

「あのっ、あのっ! 」

父が立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

母は父の前に立ち、背の高い父の顔を見上げた。

「結婚してください」

二人の間に沈黙が漂う。

「…… 聞き間違いだったらすみません。今、結婚してくださいって言いました?」

母は頷く。

「誰と、ですか?」

「貴方です」

「ん?……俺⁉︎ 」

「冗談ではありません!私は本気です」

「俺たち、名前も知りませんよね?」

「あっ!もしかしてご結婚されていらっしゃいましたか? 或はお付き合いをされている方がいらっしゃるとか 」

「いいえ、俺は独身だし彼女もいません」

「だったら、結婚してください」

「あのっ、ちょ、ちょっといいですか?」

「何でしょう?」

「なんで俺?」

「貴方だからです」

堂々と宣言し、胸を張る。
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