藤崎くんの、『赤』が知りたい。
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「……あとの二人、いないし」
放課後の誰もいない教室へ戻ると、同じ横断幕係になった残りの二人の姿はどこにもなかった。
「(確か、仲井さんと……それから玉澤くん、だったかな)」
二人ともどこに行っちゃったんだろう。
仲井さんは吹奏楽部で、夏の大会に向けて練習が忙しいと口ずさんでいた。
玉澤くんは……なんて言ってたっけ。
「こんな地味な作業、誰だってやりたくないよね」
私だって、本当はやりたくない。
教室のうしろにある物置に、一緒に持ってきた絵の具や筆を置きながら、今日何度目かのため息を落とした。そのとき。
ガラガラッと、教室のとびらが勢いよく開いた。
「あ、蓮見さん」
「あ、えっと……」
楽しそうな笑い声と一緒にやってきたのは、同じクラスの椎名さんと三輪さん。
椎名さんは私たち二年五組の学級委員長で、いつも明るい声でクラスをまとめてくれている。
「あ、もしかして蓮見さんもう横断幕に取り掛かってる感じ?」
「いや、まだ材料もらったばっかりで」
二人は鈴田先生のクジ引きで、クラスTシャツの担当になっていた。
椎名さんの手にも、すでにサンプルのTシャツがいくつか用意されている。
同じ係の人たちと打ち合わせでもしていたのかな。
椎名さんの周りには、いつもたくさんの人であふれている。
私とは正反対で、常にキラキラしていて、笑顔が絶えない人。
「(……いいな)」
「じゃあ、蓮見さんも横断幕頑張ってね!」
「あ、うん……」
机の上に置いてあった筆記用具を持って、二人は教室を出ていく。
あんなふうに仲のいい友達がいて、なんの気兼ねもなく過ごせていたら幸せだろうな。
私とは正反対の人を見るたびに、どんどん自分の醜さが際立って、自分のことが嫌いになっていく。
"私ばっかり"
"私なんて"
頭の中がいつもこんな言葉で埋め尽くされてしまう。
「……あ、そうだ蓮見さん!」
そのとき、教室を出て行こうとした椎名さんが、一人で小走りに私の元へ戻ってきた。
「あのね、もしも横断幕を作るときに困ったことがあったら……遠慮なく声かけてね」
「え?」
「だってほら、蓮見さんって──……」
椎名さんはあたりを見回しながら、誰もいないことを確認したあと、手招きをしながらそっと私の耳元で囁いた。
「目の病気、まだ治ってないんだよね?」
「……っ!」
「小学校四年生のとき、確か赤色が見えないって……」
「それはっ」
「横断幕も体育祭の評価に入るからさ!無理だけはしないでね!」
きっと、私を助けるために言ってくれた言葉に違いない。
椎名さんも私と同じ小学校で、確か四年生のときは同じクラスだった。
当時のできごとを知っているから、純粋な気持ちでそう声をかけてくれたんだ。
そうに、違いない。
だけど、椎名さんのその言葉が……私にはすごく痛かった。
「体育祭、みんなで盛り上がろうね」と手を振りながら教室を去っていった彼女に、目を合わせることすらできなかった。
「……」
なんでも頼ってね、と言われたのだから、悲しむことなんてないはずなのに。
無理しないでねって言ってくれたのだから、素直にありがとうって言えばいいはずなのに。
《それって私に横断幕を任せたくないってこと?》
《横断幕も体育祭の点数に入るから、色が識別できない私に書いてほしくないってこと?》
……ダメだダメだ、椎名さんはそんなことを思う人じゃない。
なんでも悪いほうに考えてしまう……私が悪い。
心が狭い、私が悪いんだ――。
私はこの先も、ずっとこの目のせいでこんなにも苦しい思いをしていかなくちゃいけないのかな。
その場にしゃがみこんで、あふれ出てくる涙を必死に押し殺した。
「──大丈夫?」
少し先の未来すら真っ暗で、どうしようもなく苦しくなっていたとき、優しい声が耳に届いた。
椎名さんの他にも教室にきた人がいることに気づかなかった。
泣いているところなんて、誰にも見られたくない。
私は慌てて立ち上がって、涙を雑に拭いながら壁のほうを向いた。
そのとき横目で一瞬だけ見えた、彼の姿。
背が高くて、バスケ部の練習着を来ていた。
「(あの人、藤崎……くん?)」
「わっ、泣いてる!?どうしたの!?」
「……っ」
「どっか痛む?保健室行く?」
「なんでも、ないです」
震える声で、絞り出しながらそう答えるのが精一杯だった。
早くどこかに行ってくれないかな。
みんな口に出さなくても、私を見ると『目に病気がある子』って思うんだ。
小学校四年生のときに同じクラスじゃなかった人たちも、すぐに広がった噂で知っているはず。
そんなふうに思われたくないのに。
私はみんなと何ら変わらない、普通の人と同じなのに。
学年が一つ上がっていくたびに、他人からの視線がとても怖くなる。
目を逸らせばみんなが私のことをうしろ指さしているんじゃないかなって、すごく不安になってしまう。
「それ、横断幕?」
「……」
「一人で作るの?」
早く一人になりたいのに、藤崎くんはまだ私に話しかけてくる。
心配そうに、ゆっくりと一歩ずつこちらに近づいてくる音が聞こえた。
「(来ないで、来ないで、来ないでってば──)」
「それ、俺手伝うよ」
だけど、うしろから予想もしていなかった言葉が飛んできた。
「え?」
「どうせあとの奴ら、どっか行っちゃった感じでしょ?」
「でも……」
「一人じゃ大変だもんね、これ作るの」
その言葉に、思わず振り返ってしまった。
藤崎くんは私の顔を見て少し驚きながらも、「一緒にがんばろうね」と言って微笑んだ。
「なんで……?」
「うん?」
「なんで、こんなこと……してくれるの?」
誰もやりたがらなくて、最終的に鈴田先生がクジ引きで決めたような係なのに。
「俺ね、こういう大変なことを一人に任せるのって好きじゃないんだよね」
「……」
「それに、君が助けてって言ってるみたいだったから」
「……え?」
藤崎くんの言葉に、また涙があふれ出そうになった。
体中に力を込めて、どうにかその涙をこぼさないように必死にこらえる。
「でも俺、本当に絵を書くのとか得意じゃないんだよね。だから立候補しなかったんだけど」
「……」
「一緒に完成させようね、楓花ちゃん」
私を見てニッコリと笑った藤崎くんに、滅多に乱れない心臓が大きく脈打った。