藤崎くんの、『赤』が知りたい。


*****

「おーい、体育祭本番まで残り一週間だぞ?準備は順調か?」


帰りのHRで、鈴田先生がみんなの前でそう問うと、一斉に『マジでやばい!』『応援団の振り付けも全然覚えらんない!』と口々に焦りと疲れを孕んだ声が飛び交った。



それに比べて、私が出場する競技は玉入れだけ。


特に練習もなければ、リレーや騎馬戦のように私一人のミスで結果が大きく左右する競技でもないから、別に不安はない。



ただ、そうやって不安を口にしながら一生懸命頑張っているクラスメイトたちを見て……羨ましいなと思った。



体育祭に精一杯関わって、仲のいい友達と遅くまで学校に残って練習や準備に明け暮れる毎日は、きっとすごく大変だけど、その分楽しそうでもあった。




小学校四年生のとき、私は運動会の当日……学校に行かなかった。


小学校五年生のときは途中で早退して、小学校最後の運動会も、ほとんど参加はしていない。


当時の担任の先生も、私に何も言わなかった。


きっと私の目に異常があることを知っていて、運動会を休む原因もそれだと知っていたからだと思う。




「(今回も、休んじゃおうかな)」


私一人がいなくたって、体育祭の勝敗にはまったく響かない。


クラスメイトたちの声を聞きながら、どんどん気持ちが沈んでいく。




「じゃあみんな、本番まで精一杯がんばるようにな」

鈴田先生がそう言って、HRが終わるとみんな一斉にまた体育祭の準備に取り掛かった。


忙しそうにするみんなと違って、自分の席から動けない自分が情けなくてたまらない。




「──楓花ちゃん、横断幕の続きしよ!」



だけど、いつもこうして藤崎くんが声をかけてくれる。

この声を聞くと、まるで私もこの体育祭に必要な存在なんだって思わせてくれる。



「今日からいよいよ色付けていかなきゃね」

「……うん」

「うしろに絵の具とか用意したから、早速はじめちゃおっか」

「……っ」



最近の私はどこかおかしい。


藤崎くんの声を聞いたり、姿を見るだけで心がドキドキしてしまうようになった。




「楓花ちゃん?どうしたの?」

「え?」

「顔、赤いよ?」

「……!?」



藤崎くんに指摘されて、思わず両手で顔を覆った。

確かに、自分の顔がほんのりと熱を持っている。




「(ダメ、しっかりしないと……)」


今日からいよいよ、横断幕の色塗り作業に入っていくんだから。

ふぅ、と小さく息を吐いて気合いを入れた。



「とりあえず、この文字から塗っていこうかな」

「じゃあ、私はトロフィの絵を塗っていくね」



二人で筆を持って、それぞれの色を筆に乗せていく。

豪快に黒色の絵の具を出していく藤崎くんとは正反対に、私は緊張のあまり手が震えていた。



「……っ」

赤以外の色は、ちゃんと分かるのに。

どうしてこの一色だけ、私の目には真っ黒に映るんだろう。




最初に違和感を覚えたのは、まだ幼稚園のときだった。


先生が『赤信号は止まってね』と言った意味が理解できなかった。

だって私には黒にしか映らなかったから。



そしてお絵描きの時間のとき、私が描いた真っ黒に塗りつぶされた太陽とリンゴの絵を見た先生は、異変を察知してお母さんに知らせたことで、はじめて私の色盲が発覚した。




「(大丈夫、トロフィは金色。ちゃんと……見える色だから)」


何度も自分に『大丈夫だから』と言い聞かせて、筆を横断幕に走らせようとしたとき。




「──え、それ蓮見さんが塗るの!?」

「……!」


たまたま横を通りかかった男子が、大きな声でそう言った。

ピタリ、と手が止まる。


ゆっくりと彼を見上げると、そこにいたのは玉澤くんだった。




「蓮見さんが色塗るのは……ちょっと」

玉澤くんのひと言に、教室にいた人たちがみんなこちらに注目しはじめた。

そして、ザワザワと声を漏らしていく。

「蓮見さんって……確か」

「色、見えないんじゃなかった?」

「小学校四年生のときの、あれ……のことだよね?」

「色見えないのに描けなくね?」




目の前が、真っ暗になった。

一番触れられたくなかった話題が、どんどん広がっていく。


それになによりも、目の前にいる藤崎くんに知られたくなかった。

だけど、もう手遅れだ。



「……ごめん、藤崎くん」

「……」

「そういうワケだから、やっぱり色塗りは全部藤崎くんに任せてもいいかな」



誰にも目が合わないように、俯きながらお願いした。

みんなが望むとおり……私はもう、横断幕には一切触れないことにする。



悔しさと、悲しさと、それから恐怖心だけが私の心の中を埋め尽くしていく。


みんなの声が、視線が、怖くてたまらない。

今すぐ家に帰りたい。

この場から消えてしまいたい。




「……つっ」

何もかも忘れて、この場から逃げようと立ち上がった……そのとき。




「──待って、楓花ちゃん」

去って行こうとする私の手を優しく掴んだのは、他でもない藤崎くんだった。



「あのさ、誰が描こうと別に関係ないでしょ」


これまでに聞いたことのないような藤崎くんの低い声が、教室中に広がった。


藤崎くんのひと声に、みんなの注目は一気に彼のほうへ向く。



「そもそもこの横断幕、誰もやりたがらずにクジで決められた挙句、結局みんな楓花ちゃん一人に任せきりだったよね?」

「いや、それは……」

「あたしたちも、忙しくて……」

「誰も手伝おうとしなかったくせに、文句だけ言うのは違うと思うんだけど」



明らかに怒っている藤崎くんの声に、この辺り一帯の空気が一瞬のうちに変わっていく。


普段からあんなにも優しくて、みんなの人気者の彼が、こんなにも怒っている姿を見るのは初めてだった。


そんな藤崎くんの様子を見て、玉澤くんやその他の人たちは誰も言葉を発さなくなってしまった。

少し前までのザワついた教室が、嘘のように静まり返っている。



「(私のせいだ……)」

「そうだ。楓花ちゃん、ちょっとこっち来て!」

けれど、藤崎くんはそんなのお構いなしというように、突然『いいこと思いついた!』と言って私と同じように立ち上がった。

そして、横断幕とその道具が入ったカゴを持ち上げて、私の腕を引きながら教室をあとにする。



「あの、藤崎くん!?」

「今さ、教室の空気悪いから逃げちゃお」

「で、でも……あのままだと藤崎くんが」



みんなの前で、たった一人私の味方になってくれた藤崎くん。

だけど、そのせいでもしもみんなから嫌われてしまったら……と考えると、また怖くなる。



「ふ、藤崎くん。ちょっと止まって……」

「大丈夫。今は楓花ちゃんのほうが大事」

「……っ」



凍ついた心が、少しだけあたたくなっていくのが分かった。


繋がれた手のぬくもりに、私は少しだけ安心することができたんだ。



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