嘘つきな彼  ~八年付き合った彼から『距離を置きたい』と言われました。これってフラれた?それとも冷却期間でしょうか?
課長に手を引かれて歩いていく。

課長はものすごく心配してくれている。
「一人は辛いだろう」と一緒にいてくれようとした。
私も、課長の優しさに甘えて、縋ってしまいたい。そしたら心は楽になる?
胸の中でぐるぐると渦巻いている修に対する怒りや恨みの感情は消えてくれる?
このまま課長に抱きしめられたら、嫌なこと全部忘れられる?
このまま課長の家に行って、私から誘えばいい。
ひとときでも、何もかも忘れてしまえたらいいのに。



「笹塚」
名前を呼ばれて、尾瀬課長を見上げた。
課長は繋いだ手を放し、そっと私の唇に触れた。
「唇を噛むな。切れてしまう」
あ。
私は気付かないうちに唇を噛んでいた。

課長は背中を曲げて、課長は私の唇を見つめたまま、顔を近づけた。

キスされる。

そう思った私の背中がピリッと固まった。

「ん。血は出てないな」
と言うと、課長の視線が唇から離れた。
キスされることもなく、目があった。

課長の瞳が揺らいだ。
そして困ったように微笑むと後頭部を優しくなで、曲げていた背を伸ばした。


課長、今困った顔した…。
私、私、何考えてたんだ?
課長の優しさをいいことに、利用するようなことを考えてた。
サイテーだ!
恥ずかしさで顔が熱くなった。


「課長、私、やっぱり帰ります。すみませんでした!」
そう言うと、お辞儀をして、走り出した。

「おい、笹塚!」
呼び止める課長を無視して、駅の改札に向かった。




ホームには調度電車が来ていて、私はそれに飛び乗った。
「はあはあはあ」
呼吸を整えながら、入り口の向かいのドアの前に立った。
「最悪だ」
ぽつりと小さな声で独り言ちた。

「本当にな。最悪だ」
その声に驚いて振り返ると、目の前には課長が立っていた。

「え?課長…?」
「この歳になって街中を全力で走るなんて思ってもみなかった。
明日筋肉痛になったら飯奢れよ」

「…どう…して?」
「嘘だよ。奢らなくていいし。これくらいで筋肉痛になんてならねえよ」

「そうじゃなくて。どうしてここにいるんですか?」
「そんな顔した女の子を一人で返すわけにはいかないだろう。送るよ」

「でも」
「まあ、いくら上司だからってさすがに家に来いはなかったよな。ただ心配だっただけなんだよ。
付き合ってもいない男に腕掴まれて、あんなこと言われたらそりゃ逃げ出すよな。すまなかった」。
課長は真剣な顔をして、私を見下ろしている。

「違うんです!」
「?」

「私…‥」
課長の優しさを利用しようとしたんです。なんて、言えるわけもなく。

「明日、ご飯奢ります」
「え?」

「奢るんで、明日の夜ごはん、一緒に食べてもらえますか?」
「ああ。喜んで」
課長は嬉しそうに微笑んだ。


近いけれど、近すぎない課長の距離に、私の心は申し訳なさでいっぱいになった。




心配性な課長はマンションのエントランスまで送ってくれて、帰って行った。




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