アマノカワ
最後にもう何もできない私に向けられたのはたった一本の包丁だった。
家にずっと置かれていたセラミック包丁。
「お前さえいなければよかったのに」
ただ肌に触れる雪よりも冷たく、そう言い落とされる。
それでも悲しいなんて感情はもう既になくて、寒さで麻痺した心だけが私の身体を支配していた。
「やっと、…終われる。楽になれる。」
そう思った。
それでいいと思った。
そうなりたいと思った。
でも、世の中おかしなこともあるものだ。
力は入らず、気力もなかった私は、不思議な程にたった一つの光で狂ったように全てのものを取り戻した。それは、目の前に突き出された包丁が、雪の輝きを反射した光だった。
それからは手も心も感覚がなくなって、ただひたすらにその光を刺し返すだけで。
「なんでぇっ…わたしは!まだ、生きるのっ!まだ愛してもらってないの!!ただ愛してくれるだけで良かったのに、ねぇ!!!」
言葉を吐き出すごとに声の大きさは増していって、涙と感情をぼろぼろ零しながら、延々と刺し続けた。
赤色を染み込ませた雪は、なぜだかとても派手で美しかった。
でもその後に押し寄せたのは、抱えきれない自己嫌悪と焦りだけで。
それに押しつぶされた胃からは、大量の胃酸と涎が飛び出してきた。
サザンカの咲く横で、私は腹を抱えてうずくまる。
「うぅ…ぅ」
また、流れ出るのは涙と、吐瀉物と、血。
幸い家は豪邸で、囲われた庭で起きたことだったから誰にもばれはしなかったのだけれど、二つの体を川に沈めたあとは何もする気が起きなかった。