Once in a Blue Moon ~ 冷酷暴君の不可解なる寵愛 ~
世間話でもするがごとくさらりと告げられた内容に、「え」と思わず素の日本語がこぼれた。
<知っての通りわしは独身で、子がいない。お前さえその気があるなら、次の総帥に推したいと思っている>
俺は、何も返せなかった。
先生の仇を討つことに夢中で、その後のことなど何も計画はなかったから。
もちろん総帥位を継ぎたいなどとは考えたこともない。
だから今まで俺の素性についてはグループ内部でも公表してなかったし、これからも公表するつもりはなかったのだが――
<あなたは総帥の甥よ。お偉方だって誰も文句は言えないわ>
ユキが背中を押すように言う。
思いがけない展開に戸惑っていると、俺を見つめるその人の眼光がやや柔らかくなった。
<そもそもは先代が亡くなった時、わしが兄を差し置いて総帥になったことがすべての原因だ。あの時はわしの方にも事情があり、どうしてもトップの地位が欲しかったのでな。兄弟仲は悪くなかったが、蹴落とすことに躊躇はなかった>
経営の才能はあったものの、無類のギャンブル好きだったという李宇航。
その生活ぶりに眉をひそめる役員は多く、あっさりクーデターは成功した。まさか、絶望した彼が飲酒運転の末に事故死するとは、誰も予測できなかったようだが。
そしてその直後に届いたのが、楠本美里からの手紙だった――
もともと彼は、帰国した恋人を探しに日本へ行くつもりだったという。
しかし来日の直前に先代が急逝、周囲から強く引き留められて断念したという事情があったらしい。
酒に逃げたのは、総帥の椅子を弟に奪われたからだけでなく、愛する人の手を放してしまった、自分自身への怒りと後悔もあるように思う。
もし事故の前に手紙が届いていたら、妊娠を知っていたら、彼はどうしただろうか。
仮定の話でしかないが、いろんなことが変わっていた気がしてならない。