一夜限りだったはずの相手から、甘美な溺愛が止まらない。
怒気を孕んだ強気な口調で佐伯部長を嗜めた彼の一言に、この場は一気に静まり返った。さすがの部長も今度ばかりは空気を読んだようで、申し訳なさそうに口を噤んでいる。
弊社の企画チームは凍ついた空気を変えようと必死で取り繕いはじめ、鳳間さんにお酒を注いで場を和ませはじめた。
「……」
鳳間さんは、私を助けてくれたのだろうか。
いいえ、そんなことあるはずない。彼は忙しい人だから、きっと早く旅館の話を進めたかったのだろう。
現に鳳間さんは今、こちらが用意した資料を食い入るように見て精査している。
ほんの数日前まで恋人だった人でさえ、平気で私の心を傷つけるような裏切り行為をしてくるのだから。たった一度触れ合っただけの関係である私に、何をしてくれるというのだろう。
「(期待しちゃダメ……)」
私はもう、二度と恋なんてしない。簡単に心まで許してしまった私が馬鹿だった。
愛だなんて不確かなものは、不必要だ。
***
それから約二時間ほど、滅多にお目にかかれないほどの豪華な和食御膳をいただきながら、鳳間さんは弊社に関するさまざまな質問を投げかけては頷き、そしてこの度の旅館の建設にあたっての具体的な方針や理念を語ってくれた。
佐伯部長は終始鳳間さんに笑顔を見せ続け、弊社の強みや歴史、様々なつながりをうまい具合に散りばめながらしっかりとアピールをし続けた。
「──分かりました。では一度持ち帰って検討させていただきます」
「もちろんです、鳳間さん。ぜひいいお返事をお待ちしております!」
鳳間さんを全員でお見送りして、この会食はお開きとなった。
企画チームのみんなは途端に緊張の糸が切れたようにふらふらしながら、ゆっくりと帰り支度をはじめる。
「谷口さん、君には失望したよ」
「……佐伯、部長」
「本当にとことん使えない秘書だねぇ。無能な人間がこういう場にいちゃ困るんだよねぇ」
「……」
「なんの役にも立たなかった君に使わせるタクシーはないから。反省しながら自力で帰宅するべきだよねぇ」
佐伯部長はそう言って、誰よりも先にタクシーに乗り込んで帰っていった。部長のあんな言葉を数年間浴びせ続けられて、少しは免疫がついてきたと思っていたけれど、さすがに今のは心に突き刺さってくる。
企画チームのみんなは同じタクシーに乗せてくれようとしたけれど、その優しさに泣いてしまいそうになったから、丁寧にお断りして涙がこぼれ落ちてこないようにそっと夜空を見上げた。
秋も終わりに近づいて、もうすぐ冬がやってくる。
まんまると大きな月が出ているのを見て、私は小さくため息を落としながら、一歩その場をあとにした。
「──どちらへ行かれるんですか、加奈さん?」
「……!?」