一夜限りだったはずの相手から、甘美な溺愛が止まらない。
「失礼、いたします」
ゆっくりと専務室の中に入ると、そこにはあちらこちらに英語表記の段ボールが置かれていた。海外から帰ってきたばかりで休む間もなく今回の旅館建設の指揮を執っているのだから、きっとここを整理する時間すら取れずにいるのだろう。
現に鳳間さんは今も、頻りに本や資料の整理を行っている真っ最中だ。
「お久しぶりです、谷澤さん。散らかっていてすみません」
「いえ!私のほうこそ、お忙しいときにすみません。佐伯のほうから旅館建設の件でどうしてもお目通しいただきたい資料があるとのことで持参いたしました」
「構いませんよ。僕も少し休憩するところでしたから」
鳳間さんはいつ見ても、本当にスーツがよく似合う人だと思った。
濃いめのネイビーブルーにほんのりとストライプが入った上品なスーツに、紺色のネクタイ。彼の体格にピッタリと合ったそれは、鳳間さんの良さを余計に際立たせている。
「そこの椅子にお掛けください。何か飲み物を出しますから」
「あ、お気遣いなく……!こちらをお渡ししましたらすぐにお暇しますので!」
「せっかくここまで足を運んでくれたのだから、少し休まれては?」
「でも……」
「とはいえ、まだ設備も揃ってないからペットボトルか缶ものの飲料しかないのだけどね」
やわらかい口調でそう言って笑った鳳間さんは、簡易的な保冷庫の中から数本違う種類の飲み物を取り出して、私に「どれがいい?」と問いかける。
これ以上お断りするのは失礼だと判断した私は、彼が手に取ったものの中から小さなペットボトルのカフェラテを選んで、指定された席にゆっくりと腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます、いただきます」
鳳間さんは私にそれを手渡して、同じように向かいの椅子に腰かけた。小さな丸テーブルを挟んで向かい合うこの距離が妙に近くて、私の緊張に一層の拍車をかける。
彼とこうして向かい合うという場面はすでに何度か経験してきてはいるけれど、一向に慣れることは愚か、そのたびにドキドキと心拍数を上げてしまう始末だ。
「(どうしよう。何か会話をしなくちゃ、よね)」
いつもは鳳間さんのほうから積極的に話を持ち掛けてきてくれるけれど、今日はどうしてか、こちらを見ながらただ微笑んでいるだけのようで、私はどこに視線を向ければいいのか迷いながら必死に話題を探した。
「そういえば、先ほど受付の方から鳳間さんがまだ秘書を付けられていないとお聞きしたのですが、何かと不便ではありませんか?」
「えぇ、ニューヨークから帰ってきたばかりなのでそこまで手が回らなくて。僕のオフィスでさえ、まだこの通りですしね」
「そうだったのですね」
「海外生活が長かったので、まずは自分のできる範囲で少しずつ日本に慣れていかないと、ですね」
「あ、でもあまり無理されませんように」
「……とはいえ、ゆくゆくは僕の業務を一緒にサポートしてくださる方がいれば嬉しいな、とは思います」
しっかりと私を見てそう言った鳳間さんに、思わず顔を赤くしてしまう。気付かれないように下を向いて、差し出されたカフェラテに口を付けた。
鳳間さんと働ける人って、一体どんな人なのだろうか。
きっとエリート中のエリートで、鳳間さんに引けを取らないほど完璧で、どんな業務でも颯爽と熟していけるような人なんだろう。
私には到底無理だ。毎日佐伯部長に叱られてばかりの私なんかには、絶対に無理なんだ。
「あ、鳳間さん。こちら資料になります。お手隙のときにご一読いただけますと……」
「僕への質問はもう終わり?」
「え?」