一夜限りだったはずの相手から、甘美な溺愛が止まらない。
「(どう、しよう……っ)」
頭の中は『なぜ!?』と『どうして彼なの!?』が何度も交互に行き来している。
とにかくバレるわけにはいかない。
もしも彼がまだ私のことを覚えていたとしたら、会社の信用問題になりかねない。
いくら会社とは関係のない個人の出来事だったとはいえ、バーで酔い潰れた挙句、見知らぬ男性……ならぬ、見知らぬ鳳間さんに自ら声をかけてホテルに誘った女と、これから共に仕事をしていくなど決して気持ちのいいものではないはず。
それに今回の鳳間ホールディングスによる高級旅館建設にあたって、弊社のライバルとされている幾つもの大手企業が、たった一つの食事処の座をかけて壮絶なプレゼンや営業をしあっている状況下で、今の私は負の要因でしかない。
もしも私のせいでこの企画を落とすようなことになれば、確実にクビになる。
私のクビでどうにかなるのなら全然かまわない。けれどこの企画のために注力してきた人達のことを思うと、居ても立ってもいられなくなった。
「(だから絶対、バレちゃダメ……っ)」
なるべく鳳間さんの視界から逸れるように俯きながら、企画書の冊子を部長に預けて、私は逃げるようにこの部屋を後にした。
そして近くにあったお手洗い場に駆け込んで、ゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせていく。
突然部屋から飛び出した私のことを、部長はきっと許さないだろう。
急な体調不良で外で休んでいた、ということにするとして……問題はこの数時間の接待をどう乗り切るのか。
「……いや、でも待って?」
ヒノキをふんだんに使用した上品なお手洗い場の丸鏡に映る自分を見つめながら、ふと気が付いた。
私は彼のことを忘れるはずもないけれど、向こうはそうとは限らない。
鳳間家の嫡男というこれ以上ない立派な肩書きに、あれほどのルックス。誰が見ても上品な立ち振る舞いに、無意識に見惚れてしまうほどの整った顔。
彼の周りにいる女性達が放っておくわけがない。
たかだか一週間前に一夜を共にした相手を覚えておくほど、きっと鳳間さんは暇ではないだろうし、ここは過剰に反応せず普通に接したほうが返って得策かもしれない。
「(ずっと隠れているわけにもいかないし……)」
覚悟を決めて、再び鏡に映った自分と目を合わせる。
今日を乗り越えたら一人旅行に行くんだから。
疲弊した自分を労わって、リフレッシュして、心の傷を癒すのだから。
頑張れ私、と自分を鼓舞してこの場をあとにした。
そのとき――。
「……大丈夫ですか?」
その声を聞いた途端、少し前の決意も、前向きな気持ちも、すべてが呆気なく崩れ去っていく。
どうしてか、出入口付近に立っていた彼と思いきり視線が絡み合った。
「……え?」
通し柱に身体を傾けるように凭れながら、腕を組んでしっかりとこちらを見据えていたのは他でもない……あの鳳間瑛人さんだった。
顔を隠さなくちゃ、逃げなくちゃ。この場に居続けるのはよくない。
――気づかれてしまう。
「あ、あの……っ、どうして、こちらへ?」
どうにか平静を装いながら、震える声でそう尋ねた。
「あなたに少々、用がありまして」
「……っ」