宛先不明の愛
 青い空に、白い息が消えていった。


 わたしは郵便バイクにまたがって、昼の町を走っていた。青々とした空なのに、夏みたいに騒がしくない。冷たい静けさが広がっている。ピアノの音をポーンと鳴らしたら、ずっと響き渡りそうだ。


 わたしはバイクを駅前に停めた。それから、後ろの郵便ボックスから手紙を数枚、掴み取った。青い封筒、白い封筒、名前も知らない花が描かれた封筒。息を吐くと白くなるような真冬なのに、手紙を持った手だけが、じんわりと温かい。まるで人肌のような温もりがする。


 古びた観光案内の看板を横切って、一軒一軒のポストに手紙を入れていく。山に囲まれた町で、大きな川に沿うように家が建てられている。だから、道は蛇みたいにくねくねと曲がっているし、坂や階段が多い。家と家の間には、えらく急なコンクリートの階段があったりして、そこからみんな向こう側の道路に出る。わたしも、足を踏み入れた。下りの階段は、一段の間隔が短い。体をちょっと後ろにそらしながらじゃないと、危ない。


「わっ」


 転ばないように気をつけながら、室外機の横を通っていく。階段の向こう側には、町の景色が覗きみえる。大きな国道と、その向こうに川がある。道路には車が、川には水が流れていて、どちらも騒がしい。


「花さん、花さんの家は川の向こう側ね」


 階段を降りて道路にでる。それから、川にかかった大橋を渡る。入口の柱に「100年続く林檎橋」とかかれた真鍮のプレートが埋め込まれていた。歩行者専用の大きな橋は、レンガと木で造られている。下の河川敷では、町にいる数少ない住民が、グラウンドゴルフをしていた。


 橋の真ん中で立ち止まって、ちょっとあたりを見渡してみる。三百メートルほどの橋の下では、ごうごうと川が流れている。水が岩にぶつかって飛沫を上げている。後ろを見ると、バイクを停めた駅がみえた。目を凝らすと、赤いバイクもちょっとだけ姿がわかる。それから、もう一本ある橋を見た。そっちは林檎大橋よりも若く、コンクリート製だった。車も通れる。でもわたしは、林檎橋を歩いて渡った。


 橋の向こう側は山だ。木は葉っぱがなくなって裸を晒している。


「寒いだろうに。わたしのコートを貸してあげられたらいいのだけど」 


 風が吹いた。木々が、答えるように乾いた音を鳴らした。


 それから、何の花も咲いていない花畑を通った。バラが咲いていたら、緑と赤のトンネルになっている場所も、今は冷たい鉄のアーチが佇んでいるだけだ。すると一軒の家が現れた。古民家だ。ちょうど、若い女性が出てきた。歳も近いだろう。鍵を閉めて、これから真っ白なコートを抱きしめるようにして歩きながら道路に出てきた。


「あっ、水希(みずき)さんこんにちは。郵便ですか?」 


 彼女の声は、冬の静かな日に吹くフルートみたいだ。透き通っている。


「花さん、お手紙ですよ」


 対してわたしの声は、どうなのだろう。意識していなくても時折、猫撫で声みたいになる。この声が嫌いだ。


 二人して、愛想笑いを送り合う。西洋の貴族の真似事みたいに、ちょっとばかし腰を曲げて、頭を下げてみる。それから手に持った一枚の手紙を差し出した。途端、花さんがまゆをひそめた。それも一瞬のことで、次いで微笑んだ。桜が散るような悲しさを抱えているようだった。


「今度から、その手紙を送り返してもらうことってできますか」


「さすがにそれは……難しいです。住民がもういないとかじゃないと、送り返せません」


 花さんは深いため息を吐いた。冷たい風が吹いた。手紙を持っていた手が、温もりを失っていく。


「せっかくのお手紙ですから」


「そうね。彼も悪気はないのよね」


「恋文ですか」


 しまった。わたしは花さんの顔を見る前に、慌てて頭を下げた。人の心に土足で入ってしまった。


「ごめんなさい」


「えらく古風な言い方をするのね」


 花さんはわたしの手から、手紙をつかみとった。顔を上げると、花さんは何かの花が描かれた封筒を見つめていた。「彼みたい」と呟く。


「重いのよね」


 溜め込んだものを一気に吐き捨てるようにして、花さんはどこかへ行ってしまった。冬の風に冷やされた花さんの背中が小さくなっていく。花さんは途中で、手に持った手紙を読むこともせず、ぐちゃぐちゃにして、公園横のゴミ箱へと捨てた。虫でも払うかのように投げたから、ゴミ箱には入らず、道路に転がった。


 わたしの足が、手紙に吸い込まれていく。この世に、受け取られず捨てられる想いがある。ゴミ箱にすら受け止めてもらえない気持ち。一体どんな言葉だろう?


 わたしは、まるで万引きでもするかのように、こそこそと手紙を拾い上げた。下を向くと垂れてしまう横髪を、冷たくなった右手の人差し指でかきあげた。


 丸くシワだらけになった手紙を、恋人の頬を指先でなでるように広げていく。手紙は。まるで心ごと握りつぶされているみたいだ。わたしは、胸の中にふくらんだ苦しみを、ツバと一緒に押し込んだ。


 封が開いている。中から、淡い青色の便箋を取り出した。最初の一文が、瞳に入ってくる。


『花さん。愛しています』
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