宛先不明の愛
雪が止まない。真っ白な花びらみたいだ。わたしは、部屋の中で、明かりもつけずに机に突っ伏していた。机の上には、造花の百合と、落ち葉と、彼からの手紙だ。気分が悪い。胃の中が洗濯機みたいにぐるぐるしている。
手紙は、カッターナイフみたいな言葉で埋め尽くされていた。この刃の先が、わたしだったり、彼自身だったりして、血だらけになっている。手紙の中の彼は、混乱していた。当たり前だ。自分の彼女だと思っていたのに、赤の他人が受け取っていたのだ。それどころか、返信まで書いている。手紙には、もう手紙を書かないと記されていた。実際、この手紙を最後に、もう一ヶ月は彼から手紙がきていない。わたしも、送れなかった。
「わたし、いつからこんなに気味が悪くなったんだっけ」
窓の外は真っ暗だ。心に嫌な痛みが広がっていく。どうしようもできなくなって、机の上にあった落ち葉をぐしゃぐしゃに握りつぶした。どこまで形を保てなくなれば、落ち葉なのだろう。
まるで、わたしの心を壊しているみたいだ。このまま壊し切ってしまえば、最初からなかったことにならないだろうか。
「おえっ……うっ」
このままじゃ、心ごと腐ってしまう気がした。すがるような気持ちで立ち上がると、ふらついた足取りで家を出た。真っ黒なコートを着て、自分の肩を抱くように小さく縮こまりながら歩いた。花さんのいなくなった空き家を通り過ぎて、大きな橋を渡って、国道に沿ってさまよう。足がぼんやりと痛むまで歩いた。降りしきる雪の向こう側に、宿場町が見えてくる。
山と山に挟まれた町だ。わたしがいた町よりも規模は小さかった。川も細くなっている。でも、わたしの町より賑やかだった。観光案内所もあるし、木製の笛や鳥を売っているお土産屋さんの姿も見えた。みんな笑っている。わたしだけが、泣きそうな顔でここにいる。通りすがりの観光客が、わたしを心配そうに見てきた。視線から逃げたくて、出来るだけ人がいないところを探した。人が全くいないのは嫌だったけれど、多いのも嫌だった。落ち着ける場所が欲しい。
うねる川に沿って作られた宿場町だから、町全体も蛇みたいに曲がりくねっている。石畳の地面は、急に坂になったり、かと思えば長く平らになったりしていた。
わたしはとにかく奥に行った。足が痛い。ふくらはぎが、熱を帯びているし、足の上は霜焼けでピリピリと痒い。
和菓子屋が目の前に現れた。店の外に赤い布が垂らされたベンチが置いてある。雪をかぶって、所々が白くなっていた。ガラスの自動ドアをくぐり抜けて中に入った。息が上がっている。
店番は一人のお婆さんがしていた。わたしよりも低い背丈で、ガラスケースの向こう側に立っていた。
「おんやまあ。どうして泣いているんだい」
息が一瞬止まった。反射的に左手で頬を拭った。頬に触れた瞬間、ひんやりとして、次いで自分の肌の温もりが伝わってくる。いつの間にか、泣いていたらしい。
「寒いだろう。そこにすわんな」
訛りの強い声だ。でも、優しくて温かい音がする。こたつみたいだ。
わたしは何も言えないまま、椅子に座った。丸い机も置かれている。外には白い世界が広がっている。視線を下に落とす。綺麗に揃えられた自分の足と、太ももに置かれた手だ。指先だけが真っ赤に染まっている。
「ほらお茶とお菓子。飲むと温まるから」
机に湯呑みと、和菓子が置かれた。名前もわからない和菓子だったけれど、ピンク色の花みたいで、柔らかそうだった。
「ご、ごめんなさい。お代いくらですか」
「いらないよ」
お婆さんが目の前の椅子に座った。
「しばらくここでゆっくりしていきなさい」
この言葉が、雪の日の寒さを消し去ってしまうほど温かかった。涙が溢れ出していく。肩が震えて、息が漏れた。おばあさんは、椅子をこっちに寄せながら座り直して、わたしに近づいた。それから、背中を撫でてくれた。何も言わなかった。
いつまで泣いていただろう。頭の中はみじん切りみたいにぐちゃぐちゃになっていた。彼への申し訳なさがあった。自分がした行いが間違いだったと痛感した。心に包丁が突き刺さっているみたいだ。
「わたし、大切な人を傷つけてしまいました」
お婆さんの手が止まった。でもすぐにまた、撫でてくれた。
「それは辛いねえ。わざとじゃないんだろう」
「……自分の選択が、最善だって思っていました。でも違った」
「そういうもんよ。ちょうど、花の種と一緒ね」
「花の種?」
「植えてみて、水をあげて、花が咲くまで、どんな花かなんて誰にもわからないわ。あなたが今、反省しているってなら、次はこれからどうするかを考えてもいいんじゃないかしら」
「これから……」
「謝ったの?」
「……まだです」
「まずはそこからね」
お婆さんがにっこりと笑った。雪が止んで、雲の隙間から光が落ちてくる。わたしは、お婆さんにお礼を言ってから家に帰ると、すぐに彼へ手紙を書いて郵便に出した。
その翌日だった。彼から手紙が届いた。
手紙は、カッターナイフみたいな言葉で埋め尽くされていた。この刃の先が、わたしだったり、彼自身だったりして、血だらけになっている。手紙の中の彼は、混乱していた。当たり前だ。自分の彼女だと思っていたのに、赤の他人が受け取っていたのだ。それどころか、返信まで書いている。手紙には、もう手紙を書かないと記されていた。実際、この手紙を最後に、もう一ヶ月は彼から手紙がきていない。わたしも、送れなかった。
「わたし、いつからこんなに気味が悪くなったんだっけ」
窓の外は真っ暗だ。心に嫌な痛みが広がっていく。どうしようもできなくなって、机の上にあった落ち葉をぐしゃぐしゃに握りつぶした。どこまで形を保てなくなれば、落ち葉なのだろう。
まるで、わたしの心を壊しているみたいだ。このまま壊し切ってしまえば、最初からなかったことにならないだろうか。
「おえっ……うっ」
このままじゃ、心ごと腐ってしまう気がした。すがるような気持ちで立ち上がると、ふらついた足取りで家を出た。真っ黒なコートを着て、自分の肩を抱くように小さく縮こまりながら歩いた。花さんのいなくなった空き家を通り過ぎて、大きな橋を渡って、国道に沿ってさまよう。足がぼんやりと痛むまで歩いた。降りしきる雪の向こう側に、宿場町が見えてくる。
山と山に挟まれた町だ。わたしがいた町よりも規模は小さかった。川も細くなっている。でも、わたしの町より賑やかだった。観光案内所もあるし、木製の笛や鳥を売っているお土産屋さんの姿も見えた。みんな笑っている。わたしだけが、泣きそうな顔でここにいる。通りすがりの観光客が、わたしを心配そうに見てきた。視線から逃げたくて、出来るだけ人がいないところを探した。人が全くいないのは嫌だったけれど、多いのも嫌だった。落ち着ける場所が欲しい。
うねる川に沿って作られた宿場町だから、町全体も蛇みたいに曲がりくねっている。石畳の地面は、急に坂になったり、かと思えば長く平らになったりしていた。
わたしはとにかく奥に行った。足が痛い。ふくらはぎが、熱を帯びているし、足の上は霜焼けでピリピリと痒い。
和菓子屋が目の前に現れた。店の外に赤い布が垂らされたベンチが置いてある。雪をかぶって、所々が白くなっていた。ガラスの自動ドアをくぐり抜けて中に入った。息が上がっている。
店番は一人のお婆さんがしていた。わたしよりも低い背丈で、ガラスケースの向こう側に立っていた。
「おんやまあ。どうして泣いているんだい」
息が一瞬止まった。反射的に左手で頬を拭った。頬に触れた瞬間、ひんやりとして、次いで自分の肌の温もりが伝わってくる。いつの間にか、泣いていたらしい。
「寒いだろう。そこにすわんな」
訛りの強い声だ。でも、優しくて温かい音がする。こたつみたいだ。
わたしは何も言えないまま、椅子に座った。丸い机も置かれている。外には白い世界が広がっている。視線を下に落とす。綺麗に揃えられた自分の足と、太ももに置かれた手だ。指先だけが真っ赤に染まっている。
「ほらお茶とお菓子。飲むと温まるから」
机に湯呑みと、和菓子が置かれた。名前もわからない和菓子だったけれど、ピンク色の花みたいで、柔らかそうだった。
「ご、ごめんなさい。お代いくらですか」
「いらないよ」
お婆さんが目の前の椅子に座った。
「しばらくここでゆっくりしていきなさい」
この言葉が、雪の日の寒さを消し去ってしまうほど温かかった。涙が溢れ出していく。肩が震えて、息が漏れた。おばあさんは、椅子をこっちに寄せながら座り直して、わたしに近づいた。それから、背中を撫でてくれた。何も言わなかった。
いつまで泣いていただろう。頭の中はみじん切りみたいにぐちゃぐちゃになっていた。彼への申し訳なさがあった。自分がした行いが間違いだったと痛感した。心に包丁が突き刺さっているみたいだ。
「わたし、大切な人を傷つけてしまいました」
お婆さんの手が止まった。でもすぐにまた、撫でてくれた。
「それは辛いねえ。わざとじゃないんだろう」
「……自分の選択が、最善だって思っていました。でも違った」
「そういうもんよ。ちょうど、花の種と一緒ね」
「花の種?」
「植えてみて、水をあげて、花が咲くまで、どんな花かなんて誰にもわからないわ。あなたが今、反省しているってなら、次はこれからどうするかを考えてもいいんじゃないかしら」
「これから……」
「謝ったの?」
「……まだです」
「まずはそこからね」
お婆さんがにっこりと笑った。雪が止んで、雲の隙間から光が落ちてくる。わたしは、お婆さんにお礼を言ってから家に帰ると、すぐに彼へ手紙を書いて郵便に出した。
その翌日だった。彼から手紙が届いた。