溺れるように愛して
「でさぁ」


近かった距離が、その声とともにぐっと更に近くなり、抵抗を見せる隙もないままどんと真正面からぶつかる。


「おい、押すなって」


低めの声が頭上で落ちてくる。

どうやら夏目くんの後ろに誰かが当たったようで、その反動で彼がバランスを崩し、わたしとぶつかるような状況になってる様子。


「わ、ごめんごめん。そんな怒るなよ夏目っち」
「うるせ、さっさとどけ」
「えー夏目っちの背中ってもたれやすいから」
「今もたれんな」


入口付近で何をやってるんだか。

どきどきして動かないわたしの体に、頭に少しだけ重みがのっかる。



「……ごめん」
「う……うん」



紛れるように、彼の顎がわたしの頭にのっている。

その突然の行為は、死角となっているせいか、後ろの紗子ぐらいしか目撃していないだろう。


「あ、なぁ夏目っち」


その声と一緒に「うるせー」と嘆く彼は、何食わぬ顔でわたしの横を通り過ぎていく。

何もなかったみたいに、平然と。


「え、ねぇ、今のなに?」
「え?」


ようやく言葉を発した紗子に「さ、さぁ……」と首を傾げるしかなくて。

人前でこんなことをするのは珍しい彼の背中をただ眺めていた。
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