溺れるように愛して
テスト期間中は彼の家で落ち合う約束はしていなかった。

勉強が大事だし、毎日のように会う訳でもないし。

電車はスピードをゆっくりと緩め、ブレーキの余韻を残しながらプシューと吐き出したような音をたて扉が開く。

ぱっとつり革から手を離し、扉が閉まる前に川瀬くんの背中を追った。


「じゃーな夏目」

「おう」


そんな挨拶のやりとりを相変わらず真ん中のポジションで聞きながら、ありもしない妄想を掻き立てた。

ここで、もし夏目くんがわたしの手首を掴んでくれたら、なんて、そんなおかしな妄想。

「行くなよ」なんて呟いて「ごめんな川瀬」なんてわたしをさらってくれたら、と。

地に足をつけるようにホームへと降り立ったわたしは、当たり前だけどさらわれることはなかった。

虚しくも扉が閉まる音が聞こえて、再び滑らかな助走をつけては見知らぬ町へと走り抜けて行く。

当然、なんだけどな。

止めてもらえないなんて、当たり前なのに、わたしはそれでもどこか期待してしまっていて。

さらってくれたら喜んで彼の胸に飛び込んだかもしれないけれど、現実はそんな甘くなくて。


「行こか」

「……うん」


夏目くんが何を考えているのか、わたしには分からない。

男子は昔からよく分からないが、彼の場合は特に読めない。

何を思って自宅とは反対方向の電車に乗ったのか。そして今も、何を考えて電車に揺られているのか。

電車から降りた時、振り返ることは出来なかった。

音だけで全てを把握した。電車が閉まる音、走り出す音、去っていた音。

ようやく振り返れた時には、もうあの電車はなくて、その光景がやけに寂しくて仕方ないと思ってしまった。
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