好きになってはいけない
「あ、おい! あんたの名前は」

 彼女は答えず、扉を閉める無機質な音だけが室内に残った。

 はあ、と深いため息をつく。

 まだ乾ききっていない髪の毛から、ベッドの上に水の滴が落ちた。

 夢の中で、会った人だった。

 何度も、何度も、同じ暗い空間の中であの人を見た。

 肩から溢れる金髪、切長の珍しい金色の瞳。

 なだらかな頬、高い鼻、細い指。

 日本人ではないことは明白だった。

 挑発的な口元に、余裕ありげな笑みを浮かべる彼女は、思っていたよりも低い、ハスキーがかった声をしており、背が高いくせに少年のような体つきは、彼女の性を疑わせた。

 勝手に、女性かと思っていたが、もしかして男性? 

 いや、まさか。

 あの線の細さで?

 それより彼女———性が不明なのでとりあえず彼女と呼ぶ———は、さっきなんて言っていた?

 ここが、どこだと。

 アトランティスという名前に、聞き覚えはあった。

 一時期姉さんがなぜかはまって、しきりに俺に話してきたのだ。

 アトランティスは、約一万二千年前に地中海の左、アメリカ大陸の右側の大西洋上に位置した伝説の大陸で、王家はポセイドン(海の神)の末裔と言われ、進んだ文化を持っていた。

 しかし、紀元前九千四百年、今のギリシャ、アテネにあたるアテナイに征服戦争を仕掛け、敗北。

 そして、その直後に大地震と洪水により、海の底深くに沈んだ。

 かつて……そう、二百から四百年前までは多くの人々がその存在を信じていたが、今は依然として実在しないと言われている。
< 19 / 22 >

この作品をシェア

pagetop