ホウセンカ
「……ごめんね」

 しばらくして、私はようやく声を振り絞った。
 
「お父さん、ずっと辛かったでしょ。私に言うべきかどうか悩んでたんだよね。お母さんに会いたいかどうか訊けなかったのも、私の心の傷を考えてくれていたからでしょ?」

 お父さんが、ぐっと奥歯を噛みしめる。そんな顔を見るのは辛い。私はお父さんの笑った顔が大好きなのに。
 
「お父さんがいれば、私は幸せだよ。それに今は桔平くんもいてくれるし」

 だから大丈夫。お母さんには、会いたかったわけじゃない。いなくなっても、私は何も変わらない。ちゃんと幸せだから。大丈夫だよ。

「……そうか」

 そう言ったお父さんの顔は、どこか寂しそうで。私のことを心配しているのかな。本当に大丈夫なのに。

「どんな話なのかなって緊張して、汗かいちゃった。私、ちょっとお手洗い行ってくるね」
 
 何となくいたたまれなくなって、私はその場を離れた。お父さんの顔を見るのが辛かったから。

 お手洗いの洗面台の鏡で、じっと自分の顔を見つめる。やっぱり、涙はまったく出てこない。
 それよりも、お父さんの気持ちを考えると胸が痛んだ。愛した人が亡くなったのに、それを知らされることもなくて。そして私に伝えるかどうか悩んで悩んで、ひとりで苦しんでいた。

 そんなお父さんを置いて家を出てしまったことに、今更ながら後ろめたい気持ちが湧いてくる。
 だけど東京へ来なければ、桔平くんや七海と出会うことは絶対になかった。ふさぎ込んで苦しくて、消えてしまいたいと常に思っていたあの頃の自分から抜け出せたのは、東京へ来たおかげ。お父さんが、それを許してくれたおかげなんだもん。

 もう肩の荷を降ろしてほしい。幸せになってほしい。私が願うのは、ただそれだけ。私にしてあげられるのは、自分が幸せな姿を見せることぐらいしかないのかな。どうやったら、心から安心して笑ってくれるのかな。

 洗面台の前でしばらく考え込んで、気がついたらそこそこ時間が経ってしまっていた。やばい、心配かけちゃってるかも。
 急いで個室に戻ると、お父さんの笑い声が聞こえた。
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