ホウセンカ
「なんで風景画なんだろうなぁ……」
「え?」
「いや、何でもねぇ」
 
 桔平くんの呟きは小さすぎて、長岡さんには聞こえなかったみたい。

 絵を描く度に、桔平くんが抱えている悩みや苦しみは深くなっているような気もする。それでも描き続けて、必死に答えを探し求めているのかな。見守ることしかできなくて歯がゆいけれど、私は私にできることで桔平くんを支えていかなきゃ。

 カフェオレを飲み干して桔平くんと一緒に部屋を出ると、そこそこ来客が増えていた。広報担当のヨネちゃんと小林さんが、SNSを通じてつながっているアート好きな人たちにたくさん宣伝をしたんだって。

 桔平くんも話しかけられたり名刺を渡されたりして忙しくなってきたから、私はおいとますることにした。

「ごめんな。駅まで送ろうと思ったんだけど」
「大丈夫、道分かるし」
「9時ぐらいには帰るから」
「うん。夜ご飯は?」
「帰ってから食う」

 夫婦っぽいよね、この会話。当たり前のようにはなってきたけれど、ふとした瞬間に嬉しく感じてしまう。

「愛茉ちゃーん、またねぇー!LINEするからぁー」
「毎日でも顔出してやー!」
 
 ヨネちゃんと小林さんが、ブンブンと手を振ってくれる。それに応えて、ギャラリーを後にした。

 今日は天気が良いけれど、ちょっと肌寒い。少しだけ肩をすくめて、慣れない新宿の街を歩いた。
 夕ご飯、何にしようかな。夜も冷えそうだし、温かいグラタンなんかいいかも。桔平くんが帰るタイミングで焼けばいいし。チーズはあったよね。鶏肉も入れよう。

「あの」

 牛乳、まだ残ってたっけ。あとはカボチャとブロッコリーと、じゃがいもと……。
 
「あの!」
「は、はい!?」
 
 後ろから、長岡さんが追いかけてきていた。その手には、スヌーピーのハンカチ。あ、私のだ。

「これ……置きっぱで……」
「す、すみません、ありがとうございます」
「いや……」

 差し出されたハンカチを受け取ろうとすると、長岡さんがしっかり掴んだまま離してくれない。そしてまた、惚けたような表情で私をじっと見つめてくる。えっと……画家視点、なんだよね?

「あ、あのう……」
「あっ!ご、ごめん!可愛くて……あっ、いや、違う、そうじゃなくて、ごめん!」

 顔から火が出るんじゃないかっていうぐらい真っ赤になりながら、長岡さんは慌てて走り去ってしまった。

 可愛くてって……。うーん、これはヨネちゃんの言葉が正しかったのかな。
 ああいう初心な人だと、やっぱり見た目の可愛さに惹かれちゃうのかしら。私ってば、罪な女かもしれない。でも私には桔平くんっていう心に決めた運命の人がいるから……長岡さん、ごめんね。
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