ホウセンカ
「……本当に笑いません?」
「笑わない」
「……あの……えと、なんか……その……国を超える感じっていうか……どんどん拡がるような。地球が全部、ひとつになる、みたいな……」
「グローバリゼーション?」
「そそそそう!そんな感じです。なんかこう、そういうニュースを観て頭の中にワーッてイメージが出てきて。それを描いていたっていうか。う、上手く言語化できないんですけど」
「だからデッサンが下手なんじゃねぇかな」
「うぐっ……」

 心臓を撃ち抜かれたように胸に手を当てて、彩ちゃんが呻いている。何となく、仕草が小林に似ている気がした。
 
「き、桔平さんって毒舌……」
「毒じゃねぇよ。事実の指摘。彩ちゃんの場合、自分では対象物を観察しているつもりでも、ふとした時に別のイメージが頭に浮かんでくるんじゃねぇかなって。だから“ありのまま”を描けない」

 デッサンの上達には、対象物を細かく観察する力が重要だ。物体の形、質感、奥行き、陰影などを、あらゆる角度から観る。そこに自分の思い込みや別のイメージが入り込んでしまうと、対象物の本質は捉えられない。
 
「デッサンと自分の脳内イメージのアウトプットが一緒になってるんだよ。対象物を見ていないって言われたのは、そういうことだろうな。自分が描きたいもの以外だと、集中力を欠いてしまうってこと」
「……ぐうの音も出ねぇってやつです。言われてみれば、そうかも……」
「デッサンって、何のためにしてると思う?」
「え、えと……デッサンは絵の基礎……ですよね」
「絵の基礎って?」
「うぇっ?」
「彩ちゃんが考える“絵の基礎”って、そもそも何なの」

 デッサンに集中できないのは、その必要性が自分の中で腑に落ちていないからだろう。

 著名な画家にも、デッサン力がない人間はいる。だから必ずしも、デッサンが上手くないと画家になれないわけではない。

 デッサンとは物事を正確に観て構造を理解し、三次元を二次元へと落とし込むこと。その力を基礎力と呼ぶのであれば、果たして抽象画に必要なのかという話になる。表現力、構成力、時間配分能力、集中力。デッサンで養われる能力は他にもあるが、そんなものがなくても絵を描くこと自体はできるはずだ。
 
「絵の基礎は……その……」

 デッサンをやる意味については、学校で必ず教わっているだろう。それでも口ごもってしまうのは、オレが何故この質問をしたのか、その意図を何となく理解しているからだ。

 必要性を感じないから、集中できない。しかし本当に必要ないものなのか、自分の頭でしっかり考えたことがない。だから迷う。
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