ホウセンカ
「一佐、また失恋したの?」
「“また”言うなぁヒデ!おれがいつも失恋しとるみたいやないか!」
「小林さん、やっぱりよくフラれちゃうんですかー?」

 結衣……“やっぱり”って……。

 でも確かに、小林さんがフラれたって話はヨネちゃんから何度か聞いた気がする。なんだっけ。“ミクちゃん勘違い事変”とか“グループ展一目惚れ瞬殺事件”とか“新入生痴漢騒動”とか……他にもあったような気がするけれど、とにかく小林さんは惚れっぽいみたい。

「聞いてくれるか?おれの切ない恋の話を……そう、あれはまだ夏の香りが残る9月初旬……その日は学祭の2日目で」
「長岡。わりぃけど、そのトルティージャとって」
「あ、これ?ひと切れでいい?」
「おれはいつものように上野駅に降り立ち」
「ふた切れ。あとそっちのワインも取って」
「いつものように上野公園の小鳥たちと挨拶を交わし」
「ワインは赤と白、どっち?」
「白」
「爽やかな風が吹くなか」
「ほら、愛茉も食いなよ。トルティージャ」
「あ、うん。ありがとう……」

 とても鮮やかに小林さんを無視していく桔平くんと長岡さん。翔流くんは、また口元をおさえて笑いを堪えている。藝大3人衆がつくり出す不思議な空気に、結衣と葵はポカンとしたまま。

「その時、おれの目の前に現れたのは……!」
「私トイレ行ってくるー」

 トドメを刺したのは、七海だった。
 
「……って、ななみんっ!今からやんかっ!聞いてぇな!」
 
 個室を出ようとする七海の腕を、小林さんが思いきり掴む。すると翔流くんの目の色が変わった。

「ちょっとちょっとー。一佐くん、それはダメだよー」

 いつもと同じような、ゆったりした口調。それなのに何とも言えない圧がある。目が怖い。全然笑ってない。
 小林さんは慌てて手を離したけれど、まさに蛇に睨まれた蛙状態です。

「七海は俺の大事な彼女だって、分かってるよねぇ?」

 この言葉を聞いて嬉しそうな顔をしながら、七海は軽い足取りでトイレへ向かった。

 翔流くんのこんな怖い姿を見たのは初めて。ちなみに桔平くんは、何も気にせずトルティージャを黙々と食べている。

「し、承知しとりますぅ……」
「手出したら、マジで沈めるよ?」
「いやぁ!と、東京湾はやめてぇー!」

 怯えながら長岡さんの影に隠れる小林さんを見て、結衣が吹き出した。葵もクスクス笑っている。

「なにこれ、おっかしい。藝大生って、本当にクセ強い人が多いんだね」

 結衣が笑ってくれて、小林さんは嬉しそう。やっぱり笑いを取りたいのかな?でも小林さん自身が面白いというより、周りの反応が可笑しいんだけどね。
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