ホウセンカ
 桔平くんが本條さんと養子縁組をしないのは、そういうことなんだよね。画家として“浅尾瑛士の息子”を背負っていたい気持ちがあるのも本当だろうけど、それ以上に、お父さんの傍にいたいんだね。

 桔平くんにとって絵を描くことは、きっとお父さんとの繋がりを感じる唯一の方法なんだ。そう思うと、余計に涙が止まらなくなった。

「……会いたい?お父さんに」
「そうだな。もっと一緒にいたかったよ」
「寂しい?」
「寂しくはねぇよ。今は愛茉がいてくれるんだから」

 そんなわけない。分かるもん。私にとって、お母さんの代わりがいないのと同じ。どれだけ桔平くんに愛されていても、お母さんに会えない寂しさは絶対に消えないんだから。

 桔平くんは、自分を理解して認めてくれていた唯一の人を5歳の時に失った。寂しくないわけがないんだよ。
 
「愛茉の涙は、いつも綺麗だな」

 私の顔を愛おしそうに見つめてくる瞳が、月の光を反射してキラキラしている。
 
「そんなバカな……鼻水ズルズルなのに」
「そういう顔も、すげぇ可愛いよ」
「でも、すぐ泣く女はウザイでしょ」
「そうやって泣けるのは、愛茉が強いからじゃんか」
「なんで?弱いから、すぐ泣くんじゃないの?」
「人間の心って、もともとすげぇ繊細だと思うんだよ。だけど成長の過程で自分を守るためにどんどん殻を被って、いろいろな事が心の真ん中まで届かなくなっていく。弱い人間ほど、殻が何重にも分厚くなってさ。傷つくのが怖いから、必死に虚勢張らなきゃなんねぇの。だから、こんな風に素直に泣けなくなる」

 私が泣いたら、いつもこうやって涙を拭ってくれる。でも私は、安心して泣ける場所をつくってあげられていない。お父さんの前では、桔平くんは泣いていたのかな。

「……桔平くん。今、幸せ?」
「幸せだよ。これ以上ないってぐらい」
「嘘つき」
「嘘じゃねぇって。愛茉がいてくれるだけで十分なんだからさ」

 私を優しく抱きしめて、頭を撫でてくれた。
 その言葉自体が嘘じゃないのは分かっている。だけど、それだけですべてが満たされているわけじゃないことも、痛いほど感じるんだよ。

 だって桔平くんの心の隙間は、そんなに小さなものじゃないでしょ。私と一緒に過ごした1年半ちょっとで埋まるはずがない。それに、お父さんがいなくなったことで空いてしまった穴は、お父さんにしか埋められない。

 自分の絵を追い求めているのは、きっとその先にお父さんがいると信じているから。どれだけ辛くても苦しくても、お父さんと同じ景色が観たいから、桔平くんはひたすら絵を描き続けているんだ。
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