ホウセンカ
 その夜は胸がいっぱいになり過ぎて、なかなか寝つけなかった。

 だけど桔平くんは妙に寝つきが良くて、私の手を握ったまますぐに熟睡。子供みたいな寝顔で、なんだか無性に愛おしい気持ちが湧いてきた。こういうの、母性本能っていうのかな。

 そう言えば、ギフテッドは決して精神的な成熟が早いというわけではないって言ってたっけ。むしろ知能と精神の成長スピードがまったく違うから、アンバランスになりやすいって。

 きっと桔平くんは、お父さんにはたくさん甘えていたんじゃないかな。だけど安心して寄りかかれる人を失って、必死に大人になろうとしたのかもしれない。

 そんなことを勝手にいろいろ想像して、桔平くんの寝顔を眺めながら、また泣いてしまった。

 桔平くんが本当に安らげる場所をつくってあげたい。でも、そのためには何をしたらいいんだろう。
 この時以来、私はそんなことばかり考えるようになった。

 そして、お正月気分もすっかり抜けた1月の終わり。藝大の卒業作品展が始まった。
 桔平くんたち日本画専攻の作品は、上野公園内にある東京都美術館で展示される。

 初日の土曜日、私は学校に用事がある桔平くんと待ち合わせて、一緒に展示を見る予定にしていた。待ち合わせ場所は、あのカレーが美味しい喫茶店。ちなみに、お店の名前は“純喫茶コレット”です。
 
「あのクソガキが、もう大学卒業とはねぇ。俺も足腰衰えるわけだ」

 マスターが白い口髭を触りながら、感慨深い表情で浅尾瑛士さんの絵を眺めている。小さい頃から桔平くんを見てきた人だから、いろいろ思うところがあるんだろうな。

「子供の頃の桔平くんって、ここによく来てたんだよね」
「ああ。親父の横でミックスジュース飲みながら、頭痛くなりそうな話を早口でしてたな。瑛士はいつもニコニコ笑ってたよ」
「鎌倉から通うって、遠くない?」
「個展やら出版社の打ち合わせやらで、瑛士が東京に来る機会は多かったからな。その時いつも、桔平を連れて来てたんだよ。昔の桔平は人懐こくてよく喋る子供でな。今の姿しか知らない人間が見たら、天地がひっくり返るぐらいビックリするだろうよ」

 そう言って笑いながら、ミルクたっぷりの特製カフェオレを私の前に置いてくれた。

 土曜日のお昼なのに、このお店は相変わらずのんびりしている。来た時は2組のお客さんがいたけれど、今はカウンターに座る私だけ。きっと桔平くんのお父さんも、ここのこういう雰囲気が好きだったんだろうな。

「今では、あんな不愛想で無口な男になっちゃって……」
「私の前では最初から結構喋ってたよ、ニコニコして」
「そりゃ相手が愛茉ちゃんだからだろ。こんな可愛い子の前で、表情が緩まない男なんかいるかい」

 そっか。私は天使だしね。よく一目惚れされちゃう罪な女だもん。当然よね、うん。
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