ホウセンカ
 まだ先だというのに受験の下見を口実にして母親と来てくれた彩ちゃん、イタリアへ帰る前に寄ってくれたさくら夫妻、そして早めに店を閉めてきたマスター。さまざまな人が、卒展を訪れた。

 卒業なんてほとんど意識していなかったが、やはりひとつの節目なのだと実感する。

 だが、まだまだ道半ば。長岡やヨネ、小林もそう感じているようで、充実した表情ながらも、その目は既に先を見据えていた。

 こうして、4年間の集大成となった卒展は無事に閉幕。
 スミレから電話が来たのは、それから1週間後のことだった。
 
「良かった。電話番号、変わってないのね」

 登録していない番号からの着信。しかし記憶の中にはある。スミレの名刺に書いてあった番号だ。
 覚えていたのに、何故出てしまったのだろうか。

「構えないでちょうだい。今は社用携帯からかけてるの。意味、分かるわよね?」

 こういう物言いは、相変わらずだ。

「なんの用だよ」
「会って話したいのよ」
「だから、なんの用か言え」
「大切な話は電話でしたくないの。16時まで新宿駅のカフェにいるから。貴方とよく行っていた店、覚えてるでしょ?そこに来てちょうだい」

 そう言って、スミレは一方的に電話を切った。強引な奴だな。なんなんだよ、一体。

「どうしたの?怖い顔でスマホ見つめて」

 ベランダで植物に水やりをしていた愛茉が、部屋に入るなり首を傾げる。

「スミレから電話がきた」
「え、スミレさん?」
「オレの電話番号、変わってねぇからな。ちなみにあっちは社用携帯からかけてきた」
「なんて?」
「会って話したいことがあるから、新宿に来いって」

 愛茉は一瞬だけ動揺した表情を見せた後、考え込むように少し俯いた。
 
「……スミレさんって、文化事業部で働いてるんだよね」
「そうだけど」
「行ってきなよ。きっと桔平くんにとって、大切な話だと思う。会社の携帯からかけてきたってことは、スミレさんのお仕事に関することなんでしょ?」

 愛茉の目は、真っ直ぐで迷いがない。自分の感情を横に置いて、オレのためには何がベストなのかを考えてくれている。あまりに無垢な想いが、ひしひしと伝わってきた。

 スミレへの愛情が再燃することなんて、絶対にない。愛茉もそれを理解しているからこそ、背中を押してくれたのだろう。
 それなのに行きたくないと思ってしまうのは何故なのか。愛茉に心配をかけたくないからなのか、それとも別の感情のせいなのか。

 重い足取りで、オレは新宿へと向かった。
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