ホウセンカ
「あぁ、ごめんなさい。貴女が悪いと言ってるわけじゃないの。別れさせようなんて思ってないから、安心して」

 柔らかく笑う顔は、ドキッとしてしまうくらい綺麗。桔平くんも、この笑顔が好きだったのかな。一瞬、そんなことを考えてしまった。
 
「桔平の絵が変わってきたのは、貴女と付き合っているからだと思う。とても良い変化だし、桔平にそういう相手がいて安心したの。本当よ?」

 まるで小さな子供に言い聞かせるような声色で、私は自分の幼稚さを見せつけられている気分になる。この人から見たら、私なんて子供でしかないんだろうけど。
 
「だからこそ、愛茉さんにも考えてほしいの。本当にこのままでいいと思う?」
「わ、私には、芸術の世界は分からないし……」
「芸術に明るいかどうかじゃない。近くで桔平を見ていて、どう思うかよ」

 本当は分かっている。このままでいいわけないって。だって私は、桔平くんが話を引き受けると思っていたから。

 こんなチャンス、何度も巡ってくるわけじゃない。たとえ浅尾瑛士さんの絵と比べられたとしても、今の精一杯を出せたら、それでいいはず。

 だけど、激流に飲み込まれたくないというのが桔平くんの答えだった。

 本当にそれでいいのかなって、心のどこかでは思っていたの。スミレさんと同じように、桔平くんらしくないと感じたから。

 私は今まで桔平くんが決めた事に口出ししたことはない。でもそれは、スミレさんに言われたように、ただ迎合しているだけだったのかな。
 
「……桔平が画家として飛躍するには、多少の荒療治が必要だと思うの」

 俯いて考え込んでいると、スミレさんが静かに口を開いた。

「私は、ずっと桔平の絵を見てきた。高1の時から、何枚も何枚も。誰よりも桔平の絵を見てきたの。だから分かる。桔平が苦しんできたことも、今も懸命に藻掻いていることも」

 胸の奥がチクチク痛む。この人は、私が知らない桔平くんをたくさん知っている。そして誰よりも桔平くんを理解しているんだ。
 スミレさんが個展にこだわるのは、自分の企画だからというだけじゃない。桔平くんの画家としての将来を、真剣に思うがゆえ。

「どれだけ立派な羽があっても、風がないと高くは飛べない。もう羽の手入れをする時期は終わったの。思いきって風に飛び込まなければ、ずっと同じ場所に留まったままになってしまう。それに簡単な道じゃないからこそ、挑む価値があるのよ」

 なんて真っ直ぐな瞳なんだろう。
 絵に対する情熱。それだけじゃなくて、桔平くんを強く想う気持ちも伝わってくる。

 桔平くんがスミレさんを心から愛していた理由が、分かった気がした。
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