ホウセンカ
「え、鎌倉?」
「桔平くんのふるさとでしょ?見てみたいの。桔平くんが私の育った街を見たいって思ってくれたように、私も桔平くんが生まれた街のことを知りたい。どんな景色を見て育ったのか、知りたいの」

 別に、絵を描く気力を取り戻してもらうためじゃない。ただ、鎌倉が自分の原風景だと話していた時の表情を思い出したから。お父さんともっと一緒にいたかったと零した、あの瞳を。

「ね、お願い。連れてって!」

 理由は分からなかった。だけど、今どうしても鎌倉へ行きたい。行かなくちゃいけない気がする。スピリチュアルなことを信じているわけではない。それでも、呼ばれているように思えて仕方なかった。

 私のただならぬ様子に気圧されつつも、桔平くんは特に嫌がることもなく頷いてくれた。

 そうなれば、善は急げ。ちょうどバイトが休みだったから、さっそく翌日行くことにした。
 鎌倉へ行くのは初めてだけど、観光したいわけではないから、何も下調べはしていない。桔平くんが生まれ育った街を見たい。本当にそれだけ。

 桔平くんは、横浜へ引っ越してから一度も鎌倉へ行っていないみたい。つまり15、6年ぶりの里帰りということになる。すぐ行ける距離なのに今まで行かなかったのには、何か理由があるんだと思った。

「オレが住んでた家?」
「うん、まだあるの?」

 行きがけの電車内で訊いてみた。

「あぁ、確か……母さんが相続して、地元の人に管理を頼んでるって言ってたな。金がかかるだけなのに、なんで売らねぇのかは知らんけど」

 浅尾瑛士さんは、鎌倉生まれの鎌倉育ち。亡くなったご両親の家を相続して、そこをリフォームした家に家族で住んでいたと雑誌に書いてあった。
 お母さんがその家を売らないのは、桔平くんのためじゃないかな。そう思いつつも、口には出さなかった。
 
「そこに行ってみたいんだけど……嫌?」
「いいよ、場所は覚えてるから。鍵がないし、庭ぐらいしか見られねぇだろうけど」
 
 そう言って微笑む桔平くんを見て、少しホッとした。嫌々付き合ってくれているんじゃないかって、今更ながら心配になってたんだよね。

 新宿で湘南新宿ラインの逗子行に乗り換えると、桔平くんは私に寄りかかって熟睡してしまった。
 新宿から鎌倉まで、各駅停車で1時間くらい。それから江ノ島電鉄に乗り換えて4駅行った極楽寺駅の近くに、桔平くんの生家がある。

 私は何となく気分が高揚していて、桔平くんの寝息と電車の音を聞きながら、ずっと窓の外を眺めていた。

 鎌倉駅に着いて、桔平くんは迷うことなく江ノ島電鉄の改札へ向かう。小さい頃、お父さんと何度も通った道なんだろうな。そして極楽寺駅で電車を降りると、少し目を細めながら周囲を見渡した。いつもと同じ表情だから、その胸に何が去来しているのかは分からない。
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