ホウセンカ
「ちょうど3年前にお越しでしたね」
「私達のこと、覚えてるんですか?」
「その時も私がお世話させていただきましたし、こんなに美男美女のカップルは忘れませんよ。仲のいいお姿がまた見られて、とても嬉しいです」

 多分50代くらいの、ベテランっぽい仲居さん。そういえば前に来た時も、丁寧な接客に感動したんだよね。あと料理の美味しさにも。
 今度はお父さんと智美さんを招待しようかな。家、近いけど。

「桔梗の間か……いいな」

 仲居さんが淹れくれた緑茶を飲んで、桔平くんは何故か満足げにそうに呟いた。よく分からないけれど、桔平くんが嬉しそうだから、まぁいっか。

 ひと息ついた後は、夕ご飯の時間まで外出。フロントでタクシーを呼んでもらって、小樽運河へと向かう。目的はもちろんクリスマスイベント……ではなく、お母さんへの挨拶です。

 トワイライトタイムと呼ばれる薄暮の時間帯に、桔平くんと手を繋いで運河沿いを歩く。空がロイヤルブルーに染まって、ガス灯に照らされた景色は幻想的な佇まいを見せていた。
 
「そういやさ、オレが昔描いたトラウマ絵。スミレの家に飾ってあるらしい」

 目を細めて倉庫群を眺めてから、桔平くんが思い出したように言った。

「え、そうなの?」
「返さないでいいでしょって、昨日いきなり言ってきたんだよ。まぁ、別にいいんだけど」

 スミレさんと別れる直前に描いた、感情剥き出しの絵。
 そっか。その絵には、桔平くんのスミレさんへの想いが溢れているんだ。それを持っておきたいというスミレさんの気持ちを思うと、胸がちくりと痛んだ。

「あ、ホットワイン飲もうぜ」
 
 気持ちを切り替えるように、桔平くんが運河プラザを指さした。そこではクリスマスイベントの一環で、ホットワインのオタルヴァンショーが提供されている。3年前は、桔平くんだけ飲んだんだよね。
 今回は2人でゆっくり飲んで体を温めた後、クリスマスの賑わいから離れた。

 北へ歩いて、人気(ひとけ)がほとんどないところで立ち止まる。いつもお母さんが連れてきてくれた、運河公園の近く。お母さんと私の思い出の場所。

 繋いでいた手を離して、桔平くんが少し後ろへ下がった。その眼差しを背に運河へ向かって目を閉じると、お母さんの優しい顔が浮かんでくる。

 桔平くんは、過去に囚われていた私の心を解放してくれた。桔平くんがいなければ、私はずっとお母さんのことを心にしまいこんだままだったかもしれない。

 今でもお母さんの真意は分からないし、もう確かめようがない。だけど、桔平くんが言ってくれた「みんなから可愛がってもらえるように」って言葉を信じることにしたの。
< 399 / 408 >

この作品をシェア

pagetop