ホウセンカ
「会ったとしても、余計に苦しくなる気がするし……」

 喋りながら、上手く呼吸ができない感覚に陥る。苦しくなって、声が出せない。でもそのタイミングで、桔平くんがギュッと手を握ってくれた。胸のつかえがスッと消えて、ちゃんと息が吸えるようになる。

「会いたくないとか、会いたいとか、そんな風に一言では……言えない感じ。正直この9年間、お母さんがいなくて寂しいって思ったことはなかったから」

 これが、今の私の正直な気持ち。お母さんを恋しく思ったことは一度もない。お父さんがあまり家にいなくて寂しく思ったことなら、何度もあるけれど。
 お父さんは何回か小さく頷いて、視線を落とした。

「お父さんは、愛茉に謝らなきゃいけない」

 少しの沈黙の後、お父さんが重々しく口を開く。

「今になって愛茉の気持ちを訊くなんて、本当に遅すぎた。分かったところで、もう何もしてやれないのに。もっと早く向き合うべきだったと、後悔しているんだよ」

 お父さんの口ぶりで、何となく分かった。勘は良い方だから、すぐピンときてしまう。

「……お母さんは、去年の10月に亡くなった。乳ガンだったそうだ」

 やっぱり。会いたいとか会いたくないとかいう話じゃなかった。どうやっても、会うことはできない。お母さんは、もういないんだ。

「お父さんがそれを知ったのは、今年に入ってからだった。役所で偶然、お母さんの妹に会ってね。どうやら、絶対に知らせるなと言われていたらしい」

 心が無になった。普通なら、ショックを受けて泣くものなのかな。だけど感情が湧いてこない。感じるのは、桔平くんの手から伝わる体温だけ。
 私にとってお母さんは、いないも同然の存在。私の世界では、お父さんがすべてだった。だからお母さんが亡くなった、いなくなったと今更聞かされても、何も変化はない。

「僕がつい、茉莉江はどうしているのかと尋ねてしまってね。さすがに嘘をつくわけにはいかないからと言って、教えてくれたんだよ。ガンが見つかった時は既にかなり進行していて、たった3ヶ月で、あっという間に逝ってしまったそうだ。茉莉江は生前に自分の物をほとんど処分していて、この世にいた痕跡をすべて消してから旅立とうとしているようだったと言っていたよ」

 茉莉江。お母さんの名前。久しぶりにお父さんの口から聞いた。それでも私の心に感情は湧いてこない。
 でもきっと、お父さんは違う。お母さんのことを愛していたから結婚して、私が生まれたんだから。いろいろな理由があって離婚して、会うことがなくなっていたとしても、やっぱりショックを受けているはず。
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