トナカイとメリークリスマス

「メリークリスマース」
　玄関のドアを開けたら、普段と変わらない顔と声、そしてテンションで、言いながら彼は入ってきた。『ただいま』って言ってるように聞こえる。ここは私の家で、彼の家ではないんだけど。

　それに。

「……トナカイの出張なんか頼んだ覚えはありませんが」

　彼の格好は、紛れもないサンタクロースのソリをひくトナカイ。茶色い着ぐるみ、ツノが付いたカチューシャ、そして赤いスポンジを鼻につけている。
「プレゼント持って来たよ」
　はい、と彼は肩に背負っていた白い布袋から小さな箱を出して、私に差し出した。
　反射的に手を出すと、その上に乗せる。
　そして、素早い動きで、軽くキスをした。鼻にスポンジが当たる。
「怒ってる？」
　驚いて目を見開く私に、彼は窺うように聞いてくる。

　ちくしょう、こんな格好でかわいいなあ。私がそう思うと知っててやってるあざとさも小憎たらしい。

　だから、にっこり笑ってあげた。
　仕事の時に使う営業スマイル。
「最初から怒ってなんかいませんよ。私も元から仕事する予定でしたから、どうぞお気になさらないでください」
　彼の笑顔が凍った。
　同じ会社で知り合った私たち。彼は、プライベートの時に仕事用の顔を向けるのを1番嫌う。
　彼はため息を一つついて、私をギュッと抱きしめた。
「え、ちょっと！」
　もがく私を押さえるように力を込めている。
　ちょうど彼の顔の下にくる私の頭にほっぺたをすりすりしてる。
「ごめん。僕が仕事捌くの下手だったから、休日出勤になって」
「だから怒ってないってば！本当に怒ってないし、本当に今日は私も仕事する予定だったし、あなたは仕事捌くのが下手なんじゃなくて、元々の量が多過ぎるの！」
　もがきながら叫ぶように言うと、またキスをされた。今度は深く。

　ああダメだ。頭の中が溶けていく。
　彼のキスはいつもこう。
　愛情と情熱を注がれているみたいで、体がうずく。

　唇を離すと、彼は甘い息を吐いた。
「だめ、もう我慢できない。ベッド行こ」
「トナカイさん、お仕事は終わったんですか？」
「ここんちの良い子にプレゼントあげたら終わり」
「もうもらったけど」
　手の中の箱を見せた。
「ああ、これとはまた違うやつ」
「はあ……？」
「極上の気持ち良さをプレゼントしてあげる」
「……〜〜！」
　言葉を失った私を見た彼が、ははっと笑う。

　塩タイプのイケメン。普段クールに仕事を進める彼の、時々見せるこのさわやかギャップスマイルに胸をズキュンと撃ち抜かれる女性は少なくなかった。いやむしろ多かった。のに。
　彼は、私の隣が1番楽に息ができる、と言って、私から離れない。
　年上で、色気も可愛さもない、仕事が第一で、時々彼のこともほったらかしにしてしまう、私の隣にいてくれる。

　彼は、私の頭を抱き寄せて撫でる。
「まーたなんか余計なこと考えてる」
　なでなで。まるで小さい子をあやすように。
　着ぐるみといっても手は出てるから、彼の手のあったかさを感じる。
　トナカイの着ぐるみはフリース素材。ふわふわが顔に当たって気持ちいい。
「言ったでしょ？なにも考えなくていいって。いいんだよ、そのままで、ここにいてくれるだけで」
　なでなで、ぎゅっ。
　……ぐううう。
「……ベッドの前に、ご飯だね」
「えーベッドが先がいい」
「だって凄い音だったよ」
「大丈夫だよ」
　彼はそう言って、またキスをする。軽いキスを繰り返しいろんなところに。鼻のスポンジがくすぐったい。
「ねえ、これどうしたの？」
　着ぐるみをちょいちょいと引っ張った。サンタはともかくトナカイのコスプレなんて、持ってる人の方が少ないと思うんだけど。
「今日さ、会社で仕事してたら広報の先輩が飛び込んできて。イベントの出演者が急病で、人が足りないから手伝ってくれって」
「先輩って、木村さんでしょ？千絵の旦那さま」
「そう。よくわかったね」
「あなたにそんなことさせる命知らずはあの人しかいない」
　彼はあははと笑った。
　いつも冷静沈着な社長の次男。いずれは会社の上層部に行く人だ。クールなイメージから、周りから距離を置かれることも多いのに。トナカイなんて。
　木村さんは、私の友人の旦那さまで、彼が広報にいた時の直属の上司だ。未だに飲みに行くくらい仲が良いらしい。
「1時間くらい、この格好でジンジャークッキー配ってた。はいこれ」
　透明の袋に入った人型のクッキーを渡された。
「早く会いたくて、そのまま帰ってきた」
「電車で⁈」
　思わず想像してしまう。電車に乗ってくるトナカイの姿。
　可愛い。可愛いけど、さすがにちょっと。
「まさか、さすがに電車は恥ずかしいよ。今日は車で行ったんだ。こっちのプレゼント取りに行くには車の方が早いから」
　私の手の中の小さい箱を指差す。
「えっ、これ？」
「開けてみて」
　言われるがままに箱を開ける。
　中には、シンプルなデザインのネックレスがキラキラ輝いていた。私の誕生石らしい紫色の宝石。
「きれい……」
「絶対似合うと思ってさ」
　その綺麗さにうっとりしてしまったけれど。
「ちょっと待って。これを取りに、お店に行ったの？その格好で？」
「あー……」
　彼は恥ずかしそうに鼻のスポンジを外した。
「さすがに鼻は取ったけど。ツノは忘れてそのまんま」
　うわあなんてこと。
「何か言われなかった？」
「パーティーかなにかですか？って聞かれたから、はいまあとか適当に言ってきた」
「……クールなイメージ台無しじゃない」
「まあいいんじゃない？失笑されてたけど」
　笑いをこらえきれない店員さんたちの様子が目に浮かぶ。
　いつも冷静沈着な彼がトナカイ姿で現れたら、私だって吹き出すよ。
　と、思ったら、笑いがこみあげてきた。
「……ふっ……」
「え……」
「……あはははは！」
　一度笑ったら止められない。
　しばらくお腹を抱えて笑い続けた。
　彼は呆れながら、笑う私を優しく見つめていた。