HIROKAnoUTA
「あ、このサウンド…」
懐かしい音が最新のドラマから聴こえた。
ミックスで現代風に仕上がっているポジテイブなサウンド。
ミスチルの深海のオープニングからは想像もつかない。
「へえ、素敵だな。ここにこの音色のSEが入ることで、こんなにもポジティブな印象になるんだ。良いな。」
音には表情がある。
その人それぞれの個性も入るし、写真と似ている。
2枚と同じものはなくて、先人の足跡を誰が辿るかで、その観え方が変わってくる。」
ものづくりが趣味の友達は私と価値観がいつも真逆で、毎回良い意味でこちらの固定概念を覆してくれる。
価値観が合わない人と話すことは、私にとっては柔軟剤に感覚が近い。
いろんな香りがあって、柔らかくしてくれて。
音楽には表情があるという考え方も、その友達とは見事に見解が真逆。笑
友達は音楽を知識や歴史で見るけれど、私は表情や人柄で見る。
例えば、冒頭の音色の話も、その音色から人柄を想像したりして。
良い意味で現代風にアレンジがかかっていて、これは他の楽曲で聴いた音色だから打ち込みで作ったものではないのだろうなとか。
そうなると、ソフトに入っている音色の中からパズルのピースを掛け合わせるように選んで、何通りも組み合わせたのだろうかとか。
挿入だからどこの部分か想像がつかないのも楽しいなとか。
1曲のうちのどの部分にここがハマっているのかな、ワクワクするような、それでいて良い意味で大人でもあり、懐かしいような気持ちにもなり。
このドラマのコンセプトにぴったりとハマる、とても素敵なサウンド。
そこからストーリーへ集中ができるように良い意味で抜け感があって、気持ちが快くリフレッシュをできるような。
きっと、このサウンドを作った方は感情が豊かな方なのだろう。という。
友達は同じ楽曲でもきっと、専門用語が明確で、そのサウンドの歴史がすぐに出てきて。
雑誌の1ページのように完成された言葉で、簡潔明瞭。
毎回、すごいなって思う。
どんなフリをしても全てに明確にコメントが返ってくる、彼は博識で素晴らしい友人だ。
ドラマや漫画だとこの感情がすぐに恋愛へ変換をされてしまう。
それが辛いと感じるこの感情は、少々偏屈に偏っているのだろうか。
日本中の異性が恋愛対象なんて、私にはとても難しい発想で、なかなか追いつけない。
男女の友情が成立をするかしないかでよく論議があるけれど、そことこれを直結させることも個人的にはなく。
また別の話だと思っているというか。
だって、同性の友達と仲良くしていて、その相手が親友になるかならないかを、常時考えると言うことも特にはしない。
それなのに、異性の友達というだけで、そこに友情があるかないかを問うことをするというのは、個人的には思いつかない発想なのだ。
そして、そのわからない部分に関して、否定的に捉えているかというとそうではなくて。
自身のこの感性のことも理解が難しいと感じる人はもちろんいるし、そこはお互い様だと思うのだ。
色んな人がいる、それで良い。
批判は物事を簡潔明瞭にしてくれるけれど、その中に「敬意・経緯、事情・加味、知見・経験」が含まれるかとなると、そこを省いてしまっている印象はある。
一つの主観に他人を巻き込むという印象もあったりして。
ただ、良い側面ももちろんあると思う。
そうして主張をすることで責任感が芽生えたり、感情が動いて人間味が増したり。
なので、何事も一長一短だと思う。
結局のところは、その人の経験値と性格で構成をされている生産物なのではとも。
例えば、嫌いな人の真似をして動画を投稿したインフルエンサーが居たとして、
その「嫌いな人の真似をしている」という部分が一見さんへ伝わらなければ、その批判はその投稿者へそのまま返って行くわけなのだけど。
そういった事情がわからない人から変人だと
思われることも含めてその人自身への評価だし、投稿をする人本人も、それを受け止める覚悟がきっとあるのだろうと個人的には思っている。
この感想だって私と同じように考える人もいれば、その人がおかしくなったと考える人もいるだろう。
その見解の中には、その人の人生経験や他人への姿勢なりがある程度なりとも反映をされるわけだ。
普段の生活でこれを話すことはまずない。
みんなそうだと思うし、それが普通だと思う。
それほどまでに、各々で主観や価値観は異なるものなのだ。
そういった異なる部分を数えるのではなく、それらを経て歩み寄れる「人」としての支え合える要素を出し合って、
日常生活をお互いにとって快いものにしようと協力をし合うことが大切だと思うし、そこが人の素晴らしさだと思う。
もちろん、そういった行為をオブラートと表現をして、時にはネガティブな感情へ引かれてしまいそうになることも無いわけではない。
それらの感情も含めて、いざ人と関わるときにどのような姿勢で保てるかが大事だと思う。
昔の私はそうではなかった、卑屈で斜め下から人を見上げるような性格、常に自身のことが嫌いだった。
でも、そんな私のことを友達は優しい心の持ち主であると見てくれて、正直で不器用なだけだし、そういう時もあると寄り添ってくれた。
その有り難みへ心から感謝をするようになって、自身の中にある良い部分を教えてもらうことで、その部分を伸ばせるように努力をしようと思う気持ちや、ネガティブな感情で居続けるのではなくて、そういう時もあると一時の感情で留められるように強くなろうと立ち上がる勇気をもらった。
そうして、友人への感謝が心の源となった時に、友人が同じようになった時に寄り添ったり、支えられる人になろうと思う前向きさや、
新しく出会う人への見方や、姿勢へも良い影響を及ぼすことに気がついた。
昔はピンと来なかったこの言葉
「成功体験を積み重ねて自己肯定感を高めよう」
今なら、わかる気がする。
昔の自分がたまに今の自身を批判しにくる時がある、それでも、変わってしまったのだ、人は前にしか進めない。
昔の私に戻ることは、もうできないのだ。
そうして今日も進んでいく。
どんな一歩でも、踏み進めて行かねばならない。
「どんな一歩でも」この言葉の在り方も、捉え方は人それぞだ。
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