追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
14.進んで、前へ
翌日、シルヴェリオは朝一番に薬草雑貨店ルアルディを訪ねてきた。
「シルヴェリオ様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「朝早くにすまない。約束通り、契約書を貰いに来た」
店内に入ったシルヴェリオは、フレイヤの首元にあるネックレスに目を留めた。
よく磨かれてつるりと滑らかな質感のその水色の石には見慣れない文様の沈み彫りが施されており、上品なデザインだ。なぜかそれがただのアクセサリーには見えず、どうしても注意が引き寄せられる。
――どこかでこのような装飾品を見た事があるような気がする。
シルヴェリオが記憶を手繰り寄せようとしたその時、フレイヤに似た顔立ちの女性が彼に話しかけた。
「初めまして、シルヴェリオ様。フレイヤの姉のテミスと申します。話は全てフレイヤから聞きました。この子がまた調香師になれる機会を作ってくださって本当にありがとうございます」
「礼を言われるようなことはしていません。俺はただ、フレイさんの力が必要だから話を持ちかけただけです」
「この子に手を差し伸べてくれたのですから、私も夫も心から感謝しています」
テミスが振り返り、彼女の夫――チェルソに同意を求めると、彼は大きく頷いてみせた。
「そうですよ。あなたは俺たちの大切なフレイちゃんの夢を守ってくれた恩人です」
「ふふ、チェルソったら、フレイヤからシルヴェリオ様の話を聞いてからシルヴェリオ様を救世主や英雄だと言って崇めているんですよ」
「フレイちゃんを理不尽な仕打ちから助けてくれるんだから、俺たちからしたら英雄だろう?」
ルアルディ夫妻は仲がいいようで、微笑み合いながら話をしている。しかし彼らの後ろで、フレイヤがぎこちなく笑っていることに、シルヴェリオは気づいた。
「フレイさん、さっそくだが契約書を貰えるだろうか?」
「は、はい。これが署名した契約書です」
「ありがとう。確認しよう」
シルヴェリオは契約書の確認を終えると、契約書を丸めて上着の胸ポケットの中に入れた。
「それでは改めて、これから専属調香師としてよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします……!」
「俺はこれから王都に戻って工房の準備をする。実際に使う者が立ち会った方がいいだろうから、一緒に来てもらえないだろうか?」
「え、ええと……」
フレイヤは戸惑った。契約を交わしてからのことを考えていなかったのだ。
そんなフレイヤの気持ちを察して、テミスが助け舟を出してくれた。
「シルヴェリオ様、王都へ戻るには準備する時間が必要ですから、もう少し遅らせられませんか?」
「ふむ……それでは、一週間後に王都の屋敷に来てもらうのはどうだろうか?」
シルヴェリオは嫌な顔ひとつせずにテミスの提案を受け入れた。
本当は一日でも早く友人にかけられている呪いを解いてほしいだろうに、その気持ちをテミスに悟らせないようにしている。
(シルヴェリオ様ってやっぱり……カルディナーレの工房長とは全然違うのね)
まだ会って間もないが、フレイヤが想像する恐ろしく横暴な権力者のような素振りを全く見せない。それどころか、シルヴェリオのさりげない気遣いに何度も感動したものだ。
彼のもとなら安心して働けるかもしれない。それに、彼のために香りを作りたい。
漠然と心の中にあった想いがじわじわと輪郭を形作り、存在を確かなものにしていく。
「……いいえ、今からでも大丈夫です。一緒に王都に戻ります」
「フレイ!」
テミスが窘めるように名前を呼んだが、フレイヤの決心は揺るがなかった。
「シルヴェリオ様、荷物を纏めてきますので少し待ってください」
「……いいのか?」
「はい。お客様を待たせたくありませんから」
そう言い、フレイヤは二階にある自分の部屋へ行った。
一昨日荷解きをしたばかりの鞄の中に、もう一度荷物を詰め直す。そして最後に、ハルモニアから貰ったサンザシを挟んだ本を中に入れる。
鞄の蓋を閉めたフレイヤは、廊下に出て小さな絵の前に立った。そこには彼女の両親の肖像画が描かれている。
二人が亡くなったころ、落ち込んで塞ぎこみがちだったフレイヤのために、テミスが街の画家に頼んで描いてもらった思い出の作品だ。
「お父さん、お母さん……行ってきます。次に帰って来た時には、いい話ができるように頑張ってくるね」
胸に抱いていた決意を伝え、フレイヤはシルヴェリオが待つ店頭に戻った。
***
鞄を持って再び現れたフレイヤを見て、テミスは微かに目を潤ませた。
彼女にとってフレイヤは目に入れても痛くない大切な妹だ。そんな彼女とまた離れてしまうことが寂しくてならない。
「フレイったら、もう少し休んでから戻っても良かったのに……」
「お姉ちゃん、心配してくれてありがとう。だけど私、自分が作る香りを必要としてくれる人の気持ちに応えたいから、もう行くね」
「食事と睡眠は欠かさないで。あと、一週間に一度は手紙を送ること。不安なことは一人でため込まないで」
「うん、そうする」
「あと、無理をしては……ううん、何でもないわ。頑張り屋のフレイにこんなことを言ってはダメね」
テミスは言いかけた言葉を呑み込み、フレイヤを抱きしめた。
別れの挨拶を交わす二人のもとに、チェルソがやって来る。彼の手には、赤みがかった木で作られたトランクが握られている。
「荷物が増えてしまうけど……持って行ってくれないかな?」
「これは……?」
「フレイちゃんのおじいさんが使っていたトランクだよ。実はテミスがこれを屋根裏部屋で見つけたから、二人で修理していたんだ」
「えっ、おじいちゃんのトランクなの?!」
フレイヤの父方の祖父は昔、修道院で働いていたことがある。彼はそこで薬や香りを学んだ後、困っている人々を助けるために修道院を辞めて調香師となった。
そしてエイレーネ王国中を歩き、困っている人々を助けていたのだ。
そんな祖父だが、ロードンで祖母と出会って恋に落ち、以降はこの街に腰を下ろした。
「ありがとう。大切に使うね」
フレイヤはチェルソからトランクを受け取り、鞄と一緒に持つ。
「フレイちゃん、久しぶりに会えて嬉しかったよ。疲れた時はいつでも帰っておいで。テミスと一緒に待っているから」
「……うん」
姉も義兄も、自分を大切に想ってくれている。溢れんばかりの愛情を注いでくれているというのに、そんな二人を見る度に胸の中に靄がかかる自分に嫌気がさす。
(次に会った時は、変われているといいな)
以前のように、二人の愛情を素直に受け取れる妹に戻りたい。
成長して、今の気持ちを克服したい――。
フレイヤは胸の中でひっそりと決意をして、鞄を持ち直す。
「お姉ちゃん、チェルソお義兄ちゃん、行ってくるね」
「行ってらっしゃい。王都に着いたら手紙を送るのよ?」
「シルヴェリオ様がいるから大丈夫だろうけど、道中気をつけてね」
「うん。お姉ちゃんとチェルソお義兄ちゃんも、元気でね」
見送ってくれる二人に手を振ると、シルヴェリオが扉を開けてくれる。
「さあ、行こう」
「はい。よろしくお願いします」
フレイヤは小さく頷き、シルヴェリオの後をついていった。
叶わなかった恋の痛みも、元上司からの理不尽な言いがかりでできた傷も抱えたまま、再び歩き始める。
進んで、目の前に広がる新しい世界を見るために。
「シルヴェリオ様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「朝早くにすまない。約束通り、契約書を貰いに来た」
店内に入ったシルヴェリオは、フレイヤの首元にあるネックレスに目を留めた。
よく磨かれてつるりと滑らかな質感のその水色の石には見慣れない文様の沈み彫りが施されており、上品なデザインだ。なぜかそれがただのアクセサリーには見えず、どうしても注意が引き寄せられる。
――どこかでこのような装飾品を見た事があるような気がする。
シルヴェリオが記憶を手繰り寄せようとしたその時、フレイヤに似た顔立ちの女性が彼に話しかけた。
「初めまして、シルヴェリオ様。フレイヤの姉のテミスと申します。話は全てフレイヤから聞きました。この子がまた調香師になれる機会を作ってくださって本当にありがとうございます」
「礼を言われるようなことはしていません。俺はただ、フレイさんの力が必要だから話を持ちかけただけです」
「この子に手を差し伸べてくれたのですから、私も夫も心から感謝しています」
テミスが振り返り、彼女の夫――チェルソに同意を求めると、彼は大きく頷いてみせた。
「そうですよ。あなたは俺たちの大切なフレイちゃんの夢を守ってくれた恩人です」
「ふふ、チェルソったら、フレイヤからシルヴェリオ様の話を聞いてからシルヴェリオ様を救世主や英雄だと言って崇めているんですよ」
「フレイちゃんを理不尽な仕打ちから助けてくれるんだから、俺たちからしたら英雄だろう?」
ルアルディ夫妻は仲がいいようで、微笑み合いながら話をしている。しかし彼らの後ろで、フレイヤがぎこちなく笑っていることに、シルヴェリオは気づいた。
「フレイさん、さっそくだが契約書を貰えるだろうか?」
「は、はい。これが署名した契約書です」
「ありがとう。確認しよう」
シルヴェリオは契約書の確認を終えると、契約書を丸めて上着の胸ポケットの中に入れた。
「それでは改めて、これから専属調香師としてよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします……!」
「俺はこれから王都に戻って工房の準備をする。実際に使う者が立ち会った方がいいだろうから、一緒に来てもらえないだろうか?」
「え、ええと……」
フレイヤは戸惑った。契約を交わしてからのことを考えていなかったのだ。
そんなフレイヤの気持ちを察して、テミスが助け舟を出してくれた。
「シルヴェリオ様、王都へ戻るには準備する時間が必要ですから、もう少し遅らせられませんか?」
「ふむ……それでは、一週間後に王都の屋敷に来てもらうのはどうだろうか?」
シルヴェリオは嫌な顔ひとつせずにテミスの提案を受け入れた。
本当は一日でも早く友人にかけられている呪いを解いてほしいだろうに、その気持ちをテミスに悟らせないようにしている。
(シルヴェリオ様ってやっぱり……カルディナーレの工房長とは全然違うのね)
まだ会って間もないが、フレイヤが想像する恐ろしく横暴な権力者のような素振りを全く見せない。それどころか、シルヴェリオのさりげない気遣いに何度も感動したものだ。
彼のもとなら安心して働けるかもしれない。それに、彼のために香りを作りたい。
漠然と心の中にあった想いがじわじわと輪郭を形作り、存在を確かなものにしていく。
「……いいえ、今からでも大丈夫です。一緒に王都に戻ります」
「フレイ!」
テミスが窘めるように名前を呼んだが、フレイヤの決心は揺るがなかった。
「シルヴェリオ様、荷物を纏めてきますので少し待ってください」
「……いいのか?」
「はい。お客様を待たせたくありませんから」
そう言い、フレイヤは二階にある自分の部屋へ行った。
一昨日荷解きをしたばかりの鞄の中に、もう一度荷物を詰め直す。そして最後に、ハルモニアから貰ったサンザシを挟んだ本を中に入れる。
鞄の蓋を閉めたフレイヤは、廊下に出て小さな絵の前に立った。そこには彼女の両親の肖像画が描かれている。
二人が亡くなったころ、落ち込んで塞ぎこみがちだったフレイヤのために、テミスが街の画家に頼んで描いてもらった思い出の作品だ。
「お父さん、お母さん……行ってきます。次に帰って来た時には、いい話ができるように頑張ってくるね」
胸に抱いていた決意を伝え、フレイヤはシルヴェリオが待つ店頭に戻った。
***
鞄を持って再び現れたフレイヤを見て、テミスは微かに目を潤ませた。
彼女にとってフレイヤは目に入れても痛くない大切な妹だ。そんな彼女とまた離れてしまうことが寂しくてならない。
「フレイったら、もう少し休んでから戻っても良かったのに……」
「お姉ちゃん、心配してくれてありがとう。だけど私、自分が作る香りを必要としてくれる人の気持ちに応えたいから、もう行くね」
「食事と睡眠は欠かさないで。あと、一週間に一度は手紙を送ること。不安なことは一人でため込まないで」
「うん、そうする」
「あと、無理をしては……ううん、何でもないわ。頑張り屋のフレイにこんなことを言ってはダメね」
テミスは言いかけた言葉を呑み込み、フレイヤを抱きしめた。
別れの挨拶を交わす二人のもとに、チェルソがやって来る。彼の手には、赤みがかった木で作られたトランクが握られている。
「荷物が増えてしまうけど……持って行ってくれないかな?」
「これは……?」
「フレイちゃんのおじいさんが使っていたトランクだよ。実はテミスがこれを屋根裏部屋で見つけたから、二人で修理していたんだ」
「えっ、おじいちゃんのトランクなの?!」
フレイヤの父方の祖父は昔、修道院で働いていたことがある。彼はそこで薬や香りを学んだ後、困っている人々を助けるために修道院を辞めて調香師となった。
そしてエイレーネ王国中を歩き、困っている人々を助けていたのだ。
そんな祖父だが、ロードンで祖母と出会って恋に落ち、以降はこの街に腰を下ろした。
「ありがとう。大切に使うね」
フレイヤはチェルソからトランクを受け取り、鞄と一緒に持つ。
「フレイちゃん、久しぶりに会えて嬉しかったよ。疲れた時はいつでも帰っておいで。テミスと一緒に待っているから」
「……うん」
姉も義兄も、自分を大切に想ってくれている。溢れんばかりの愛情を注いでくれているというのに、そんな二人を見る度に胸の中に靄がかかる自分に嫌気がさす。
(次に会った時は、変われているといいな)
以前のように、二人の愛情を素直に受け取れる妹に戻りたい。
成長して、今の気持ちを克服したい――。
フレイヤは胸の中でひっそりと決意をして、鞄を持ち直す。
「お姉ちゃん、チェルソお義兄ちゃん、行ってくるね」
「行ってらっしゃい。王都に着いたら手紙を送るのよ?」
「シルヴェリオ様がいるから大丈夫だろうけど、道中気をつけてね」
「うん。お姉ちゃんとチェルソお義兄ちゃんも、元気でね」
見送ってくれる二人に手を振ると、シルヴェリオが扉を開けてくれる。
「さあ、行こう」
「はい。よろしくお願いします」
フレイヤは小さく頷き、シルヴェリオの後をついていった。
叶わなかった恋の痛みも、元上司からの理不尽な言いがかりでできた傷も抱えたまま、再び歩き始める。
進んで、目の前に広がる新しい世界を見るために。