追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
21.香水工房を探して
フレイヤの新しい家が決まると、お次は香水工房を開くための物件探しだ。
二人は貴族区画を並んで歩いており、目的の不動産屋に向かっている。
すれ違うのはほとんどが貴族かその従者だ。彼らが物珍しそうにフレイヤたちを眺めるものだからいたたまれない。
(し、視線が痛い……)
四方八方から飛んでくる視線がフレイヤに突き刺さる。好奇や敵意、そして悪意を感じる眼差しばかりだ。
(ううっ、ローデンにいる間に新しい服を買っておくべきだった……)
通り過ぎる令嬢たちはみな、華やかなドレスに身を包んでいる。一方で自分は着古したシャツとスカートだ。全体的によれているこの服装で来てしまったことを後悔した。
(シルヴェリオ様も見られているのに、全く動揺してない……)
フレイヤは横目でシルヴェリオを盗み見る。彼はいつも通りのスンとした表情のままだ。周囲から集まる視線には全く気に留めていないらしい。
(もしかして、こういった視線にも慣れているのかも……)
どうしても人の目が気になってしまう性格の自分とは正反対だ。
数多の視線に晒されてもいつも通りに堂々としているシルヴェリオに尊敬しつつ、フレイヤは足元にある石畳の繋ぎ目を見ることで視線から逃れる。
俯いて黙々と歩くフレイヤに、シルヴェリオが急に話しかけた。
「フレイさん、ここ数年で廃業した香水工房はわかるか?」
「はい、だいたいは噂で聞いているのでわかりますけど……どうして知りたいんですか?」
「もし廃業した香水工房の建物がそのまま売られているのなら、それを買って使おうと思っている。本当は新しい場所を用意したいところだが、今は一刻も早くネストレ殿下のための香水を作ってもらいたいんだ。もちろん、フレイさんが希望するのであれば、同時並行で新しい工房を作るが――」
「そっ、そんな贅沢は望まないです!」
「本当にいいのか?」
「いいのです。私は工房の新旧にこだわりはありませんから。それに、蒸留機などを新しく用意すると時間がかかりますよ。むしろ古い方がいいと思います。いや、絶対にそっちの方がいいです!」
フレイヤは両拳を握ってシルヴェリオに訴えかける。いつになく熱意に満ち溢れたフレイヤに、シルヴェリオは思わずたじろいでしまった。
やがて二人は本日二件目の不動産屋に辿り着いた。二件目の不動産屋はいかにも貴族向けといった外観で、白い大理石の外壁には美しい彫刻が施されている。
おまけに背の高い扉は黒色で、良く磨かれており光沢がある。扉につけられた金色のドアノッカーには目に宝石を嵌めこまれたグリフォンの彫刻が施されており、一目見て高級品とわかる。
(こんなに高級そうなドアノッカー、絶対に触れない!)
もしも自分が触れた時に壊れてしまったら、と恐ろしい想像をしてしまい、震え上がる。
フレイヤはそろそろと後退りして扉から離れた。
「あの、シルヴェリオ様。私は外で待っていてもいいですか?」
「なぜだ?」
「平民の私がこの店に入るのは、やっぱり場違いかと思いまして……」
「そんなことはない。これからフレイさんが働く場所だから、フレイさんも一緒に来てくれ」
「で、でも……見るからに平民の私が一緒に入って大丈夫でしょうか?」
「何も問題はない。もしも店員がフレイさんの服装や身分を問題視するのであればすぐに店を出よう。俺の部下を侮る者と取引をするつもりはないからな」
「わ、わかりました」
「堂々としたらいい。フレイさんだってこの店の客なんだから」
二人が店の中に入ると、奥から店員らしき男性が出てきた。彼はフレイヤとシルヴェリオを交互に見ると、品の良い笑顔の仮面を被る。
今しがた入ってきた客の服装から見て、片や貴族の男性で片や平民の女性だろう。この組み合わせなら、二人の逢瀬の場所を探している場合がほとんどだ。
それならば、人目のつかない場所で話を聞こうか。
店員は笑顔を崩さないまま、頭の中では早くも、身分違いの恋人たちに相応しい物件をピックアップし始める。
「いらっしゃいませ。個室にご案内しますね」
「ここで構わない。香水工房を開く場所を探していているから、廃業した香水工房が売りに出されているのなら紹介してほしい」
「はぁ……香水工房、ですか?」
「ああ、新しい事業として始めたいと思っている。隣にいる彼女はうちの専属調香師だから、彼女の希望に沿う物件を提案してほしい」
「か、かしこまりました。椅子に掛けてお待ちください」
すっかり当てが外れた店員は、慌てて物件の書類をかき集めたのだった。
フレイヤがぎこちない手つきで出された紅茶を飲んでいると、店員がすぐに戻ってきた。
「――廃業と同時に売り出された工房が五軒ありますね。どこも最近売りに出されたものばかりなので現地を見に行きましたが、綺麗な内装ですよ」
「最近になって五軒も売りに出されたのか。多いような気がするのだが、香水工房の世界では普通なのか?」
「ここだけの話ですが……どの工房もカルディナーレ香水工房の工房長に目を付けられてしまい、廃業を余儀なくされたのです。工房だった建物は造りが特殊で買い手がなかなか見つからないので増える一方です」
そう言い、彼は眉尻を下げる。
廃業した香水工房を活用するのは難しいが、取り壊すにはお金がかかる。その支出に見合った収入を得られるといいのだが、この店に来る貴族たちは香水工房だった建物に魅力を感じてくれず、結局買い手がつかないままだそうだ。
「――と、まあそのような経緯があるので、この物件の中には借金の返済のために元の所有者が設備の一部や道具を売り払っている物件もあります。決める前にぜひ下見したほうがいいかと思います」
「わかった、案内してくれ」
「かしこまりました」
店員は外出用の鞄を取り出すと、書類を入れる。その時、彼の手の動きがふと止まった。
「そうそう、もう少し待つとカルディナーレ香水工房の建物を買えるかもしれませんね。実は、廃業が秒読みだと噂されているんです。あそこはセニーゼ家から手厚い支援を受けているから良い道具が揃っているでしょう」
「ど、どういうことですか?」
エイレーネ王国随一と謳われるあの工房が廃業なんて、何があったのだろうか。
先ほどまで縮こまっていたフレイヤだが、カルディナーレ香水工房の名を聞いて勢いよく身を乗り出した。
「カルディナーレ香水工房で内部告発があったんですよ。それで告発された工房長が顧客から信用を失ってしまったんです。なんでも、あの工房に王妃殿下が気に入った調香師がいたそうなんですよ。その者をご自身の専属にしたいとカルディナーレ工房長に連絡した後、その調香師が辞めてしまったという返事が届いたそうです。居場所を聞いても濁してくるものだから不審に思って人に調べさせたところ、工房長が王妃殿下からの手紙を受け取った日に解雇したという証言が多く寄せられたので、王妃殿下は大変怒っていらっしゃったとか。今後はカルディナーレ香水工房の香水は一切買わないと宣言したそうで、他の貴族たちも倣ってあの工房では香水を買わなくなったそうです」
「そ、そんなことが……」
「王妃殿下は大変心を痛めているようで、解雇された調香師を探しているようです」
フレイヤとシルヴェリオは顔を見合わせた。彼らが王都を離れていた一週間ほどの間に大きな変化があったらしい。
「後で詳しく調べた方が良さそうだな。香水工房の勢力図が変わったのかもしれない」
「そう……ですね」
まさか自分が王族――それも王妃に探されているなんて、現実味がない話だ。
(もし本当だったとしても、私は……シルヴェリオ様の専属調香師でありたい)
どん底に落ちている時に手を差し伸ばしてくれたのは彼だ。ぶっきらぼうなところはあるが、思いやりがあり、他の貴族とは違って平民であるフレイヤを尊重してくれている。
それに、調香師に戻れるという希望を与えてくれた彼に恩返しをしたい。
フレイヤは決意を胸に秘めて、シルヴェリオたちと一緒に店を出た。
二人は貴族区画を並んで歩いており、目的の不動産屋に向かっている。
すれ違うのはほとんどが貴族かその従者だ。彼らが物珍しそうにフレイヤたちを眺めるものだからいたたまれない。
(し、視線が痛い……)
四方八方から飛んでくる視線がフレイヤに突き刺さる。好奇や敵意、そして悪意を感じる眼差しばかりだ。
(ううっ、ローデンにいる間に新しい服を買っておくべきだった……)
通り過ぎる令嬢たちはみな、華やかなドレスに身を包んでいる。一方で自分は着古したシャツとスカートだ。全体的によれているこの服装で来てしまったことを後悔した。
(シルヴェリオ様も見られているのに、全く動揺してない……)
フレイヤは横目でシルヴェリオを盗み見る。彼はいつも通りのスンとした表情のままだ。周囲から集まる視線には全く気に留めていないらしい。
(もしかして、こういった視線にも慣れているのかも……)
どうしても人の目が気になってしまう性格の自分とは正反対だ。
数多の視線に晒されてもいつも通りに堂々としているシルヴェリオに尊敬しつつ、フレイヤは足元にある石畳の繋ぎ目を見ることで視線から逃れる。
俯いて黙々と歩くフレイヤに、シルヴェリオが急に話しかけた。
「フレイさん、ここ数年で廃業した香水工房はわかるか?」
「はい、だいたいは噂で聞いているのでわかりますけど……どうして知りたいんですか?」
「もし廃業した香水工房の建物がそのまま売られているのなら、それを買って使おうと思っている。本当は新しい場所を用意したいところだが、今は一刻も早くネストレ殿下のための香水を作ってもらいたいんだ。もちろん、フレイさんが希望するのであれば、同時並行で新しい工房を作るが――」
「そっ、そんな贅沢は望まないです!」
「本当にいいのか?」
「いいのです。私は工房の新旧にこだわりはありませんから。それに、蒸留機などを新しく用意すると時間がかかりますよ。むしろ古い方がいいと思います。いや、絶対にそっちの方がいいです!」
フレイヤは両拳を握ってシルヴェリオに訴えかける。いつになく熱意に満ち溢れたフレイヤに、シルヴェリオは思わずたじろいでしまった。
やがて二人は本日二件目の不動産屋に辿り着いた。二件目の不動産屋はいかにも貴族向けといった外観で、白い大理石の外壁には美しい彫刻が施されている。
おまけに背の高い扉は黒色で、良く磨かれており光沢がある。扉につけられた金色のドアノッカーには目に宝石を嵌めこまれたグリフォンの彫刻が施されており、一目見て高級品とわかる。
(こんなに高級そうなドアノッカー、絶対に触れない!)
もしも自分が触れた時に壊れてしまったら、と恐ろしい想像をしてしまい、震え上がる。
フレイヤはそろそろと後退りして扉から離れた。
「あの、シルヴェリオ様。私は外で待っていてもいいですか?」
「なぜだ?」
「平民の私がこの店に入るのは、やっぱり場違いかと思いまして……」
「そんなことはない。これからフレイさんが働く場所だから、フレイさんも一緒に来てくれ」
「で、でも……見るからに平民の私が一緒に入って大丈夫でしょうか?」
「何も問題はない。もしも店員がフレイさんの服装や身分を問題視するのであればすぐに店を出よう。俺の部下を侮る者と取引をするつもりはないからな」
「わ、わかりました」
「堂々としたらいい。フレイさんだってこの店の客なんだから」
二人が店の中に入ると、奥から店員らしき男性が出てきた。彼はフレイヤとシルヴェリオを交互に見ると、品の良い笑顔の仮面を被る。
今しがた入ってきた客の服装から見て、片や貴族の男性で片や平民の女性だろう。この組み合わせなら、二人の逢瀬の場所を探している場合がほとんどだ。
それならば、人目のつかない場所で話を聞こうか。
店員は笑顔を崩さないまま、頭の中では早くも、身分違いの恋人たちに相応しい物件をピックアップし始める。
「いらっしゃいませ。個室にご案内しますね」
「ここで構わない。香水工房を開く場所を探していているから、廃業した香水工房が売りに出されているのなら紹介してほしい」
「はぁ……香水工房、ですか?」
「ああ、新しい事業として始めたいと思っている。隣にいる彼女はうちの専属調香師だから、彼女の希望に沿う物件を提案してほしい」
「か、かしこまりました。椅子に掛けてお待ちください」
すっかり当てが外れた店員は、慌てて物件の書類をかき集めたのだった。
フレイヤがぎこちない手つきで出された紅茶を飲んでいると、店員がすぐに戻ってきた。
「――廃業と同時に売り出された工房が五軒ありますね。どこも最近売りに出されたものばかりなので現地を見に行きましたが、綺麗な内装ですよ」
「最近になって五軒も売りに出されたのか。多いような気がするのだが、香水工房の世界では普通なのか?」
「ここだけの話ですが……どの工房もカルディナーレ香水工房の工房長に目を付けられてしまい、廃業を余儀なくされたのです。工房だった建物は造りが特殊で買い手がなかなか見つからないので増える一方です」
そう言い、彼は眉尻を下げる。
廃業した香水工房を活用するのは難しいが、取り壊すにはお金がかかる。その支出に見合った収入を得られるといいのだが、この店に来る貴族たちは香水工房だった建物に魅力を感じてくれず、結局買い手がつかないままだそうだ。
「――と、まあそのような経緯があるので、この物件の中には借金の返済のために元の所有者が設備の一部や道具を売り払っている物件もあります。決める前にぜひ下見したほうがいいかと思います」
「わかった、案内してくれ」
「かしこまりました」
店員は外出用の鞄を取り出すと、書類を入れる。その時、彼の手の動きがふと止まった。
「そうそう、もう少し待つとカルディナーレ香水工房の建物を買えるかもしれませんね。実は、廃業が秒読みだと噂されているんです。あそこはセニーゼ家から手厚い支援を受けているから良い道具が揃っているでしょう」
「ど、どういうことですか?」
エイレーネ王国随一と謳われるあの工房が廃業なんて、何があったのだろうか。
先ほどまで縮こまっていたフレイヤだが、カルディナーレ香水工房の名を聞いて勢いよく身を乗り出した。
「カルディナーレ香水工房で内部告発があったんですよ。それで告発された工房長が顧客から信用を失ってしまったんです。なんでも、あの工房に王妃殿下が気に入った調香師がいたそうなんですよ。その者をご自身の専属にしたいとカルディナーレ工房長に連絡した後、その調香師が辞めてしまったという返事が届いたそうです。居場所を聞いても濁してくるものだから不審に思って人に調べさせたところ、工房長が王妃殿下からの手紙を受け取った日に解雇したという証言が多く寄せられたので、王妃殿下は大変怒っていらっしゃったとか。今後はカルディナーレ香水工房の香水は一切買わないと宣言したそうで、他の貴族たちも倣ってあの工房では香水を買わなくなったそうです」
「そ、そんなことが……」
「王妃殿下は大変心を痛めているようで、解雇された調香師を探しているようです」
フレイヤとシルヴェリオは顔を見合わせた。彼らが王都を離れていた一週間ほどの間に大きな変化があったらしい。
「後で詳しく調べた方が良さそうだな。香水工房の勢力図が変わったのかもしれない」
「そう……ですね」
まさか自分が王族――それも王妃に探されているなんて、現実味がない話だ。
(もし本当だったとしても、私は……シルヴェリオ様の専属調香師でありたい)
どん底に落ちている時に手を差し伸ばしてくれたのは彼だ。ぶっきらぼうなところはあるが、思いやりがあり、他の貴族とは違って平民であるフレイヤを尊重してくれている。
それに、調香師に戻れるという希望を与えてくれた彼に恩返しをしたい。
フレイヤは決意を胸に秘めて、シルヴェリオたちと一緒に店を出た。