追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
40.王宮へ
「フレイさん――ここではルアルディ殿と呼ぶべきか。ルアルディ殿、手を」
シルヴェリオが黒い手袋を嵌めた手をフレイヤに差し出す。
空いている方の手でその手を取り馬車から降り立つと、目の前を仰ぎ見た。
フレイヤの前には、いくつもの尖塔を抱えた白亜の城が聳え立っている。
王宮に辿り着いたのだ。
片手には天鵞絨張りの盆を持っている。そこには数日前に完成した香水の入ったガラス瓶が乗せられている。
今日はこの香水を王族――ネストレに献上しに来たのだ。
「き、緊張して心臓が口から出てきそうです」
「……学生の時に、緊張した時は相手を野菜だと思えばいいと昔聞いたことがある。国王たちを野菜だと思えば緊張しなくなるかもしれない」
「そんなの不敬です。実践できませんよ……!」
貴族であるシルヴェリオならまだしも、平民のフレイヤにとって王族は雲の上の存在なのだ。
野菜に置き換えるなんて畏れ多い。
二人の会話の内容を知らない周囲の貴族や官僚たちは、冷徹と冠するシルヴェリオが平民の女性を気遣って言葉をかけているように見えたのだった。
仕立ての良い白地のシャツと長衣、同色のケープを翻してシルヴェリオの隣を歩く榛色の髪を結い上げた美しい女性に、周囲の貴族たちは目が釘付けになっている。
今日のフレイヤはリベラトーレにより朝からコルティノーヴィス伯爵家に拉致され、メイドたちによって磨かれたのだ。
王族に謁見するにふさわしい、品とほんの少しの華やかさのある化粧と髪結いが施されている。
普段は猫背気味なフレイヤだが、ここ数日でヴェーラから立ち振る舞いの指導が入ったおかげで背筋を伸ばして歩くようになった。おかげで姿勢を正すことに集中しており、無遠慮な視線の数々に気づいていない。
結果として周囲の者の目には、威風堂々と歩く調香師の女性として映るのだった。
「あの女性が、カルディナーレ香水工房を不当に解雇されてシルヴェリオ様に雇われたという、例の調香師?」
「とんでもなく美人だな。こりゃあ、カルディナーレ香水工房で妬みを買って辞めさせられたんだろう。気の毒なことだ」
「あのケープに縫い付けられているのはコルティノーヴィス伯爵家の紋章だわ。伯爵様があの制服を仕立てるためにお抱えの店から店員を呼びつけていたそうよ。コルティノーヴィス伯爵家が全面的に支援しているようね」
人々は、王妃が探しているという噂の調香師に同情した。
しかしフレイヤたちを遠巻きに見ている観衆の中に、今にも飛びかかりそうなほど憎悪に歪んだ顔で彼女たちを見ている人物がいた。
ゴテゴテと豪華な服に身を包んだアベラルドだ。
アベラルドはコルティノーヴィス香水工房――フレイヤが王族に香水を献上すると聞き、様子を見に来たのだ。
まだ新しい工房の調香師となって日が浅いフレイヤが、新しい上司のシルヴェリオからどのような待遇を受けているのか知りたかった。
巷ではフレイヤを解雇したアベラルドを非難する声が相次いでいるが、あの冷徹と噂されるシルヴェリオ・コルティノーヴィスがフレイヤに厳しく当たっている姿を見れば、人々はフレイヤに問題があったのではないかと考え直してくれると期待していたのだ。
しかし現実はそう甘くなく、馬車から出てきたフレイヤは見るからに高級そうな衣服を身にまとい、シルヴェリオ自らのエスコートで王宮を案内されている。
好待遇を受けているのだと一目でわかった。
フレイヤは今までとは違い堂々としている。俯きがちだった彼女は綺麗に着飾り、人々の視線を集めても動じず前を向いているのだ。
おまけに彼女の手には香水瓶を乗せた盆がある。
材料を売らなければ香水を作れないだろうと踏んでいたが、コルティノーヴィス伯爵のヴェーラが動いて材料を提供してしまったのだ。それが悔しくてならない。
「なぜだ……なぜあの出来損ないが優遇されているんだ!」
悔しさのあまり声を荒げたアベラルドは、ひやりとした視線に気づく。
見ると、周りにいる貴族たちが咎めるような眼差しを彼に向けているではないか。
当初の予定では今頃、フレイヤの不出来さを目の当たりにした貴族たちが自分に同情の言葉をかけてくれているはずだった。そうして専属調香師の契約を結び直そうと提案してくれる筋書きだったのだ。
全てが予想とは真逆だ。
気まずさのあまり、取り繕いもせずその場から逃げ去った。
***
フレイヤとシルヴェリオは国王の補佐官の案内で謁見の間に通された。
広く隅々まで豪奢なその場所に気圧されたフレイヤは、足の震えが止まらない。
しかし隣にいるシルヴェリオが最上位の礼をとったのを横目で察知すると、遅れをとらないよう倣って頭を下げた。
「――顔を上げなさい」
穏やかだが威厳を感じさせる男性の声が聞こえる。
恐る恐る顔を上げた先には、国王と王妃、そして王太子の三人が揃って自分を見ている。
彼らはフレイヤたちがいる出入り口から少し離れた場所にある、数段の階段を上った先にある空間にいる。
国王と王妃は二つ並んだ椅子に座っており、王太子はその隣で立っている。
国王は白銀の髪をきっちりと撫でつけている壮年の男性だ。昔は騎士団に所属していた頃もあったそうで体格がいい。
精悍さのある顔立ちだが目尻がやや下がっており、柔和な雰囲気もある。
王妃は金糸のように美しい髪を結い上げた女性だ。年齢は国王と変わらなさそうだ。
目を見張るほどの美貌の顔に笑みを浮かべ、フレイヤたちを歓迎している。
王太子はというと、こちらも柔和な微笑みを湛えた美男子だ。
王妃譲りの金色の髪は少し長く、耳にかけている。
平民のフレイヤにとって、正面から彼らと向き合う機会なんてそうそうないことだ。
畏れ多さに再び頭を下げそうになるのを堪えた。
「コルティノーヴィス卿、此度は息子のネストレのために香水を持って来てくれたそうだね」
「はい。我が香水工房初の香水を、ぜひネストレ殿下に捧げたいと思い、持参しました。私はネストレ殿下に返しきれない恩があります。この香水の香りが少しでも殿下の目覚めに役立つことを願っております」
「君のことは息子からよく聞いていたよ。気の置けない友人だとね。友人が見舞に来てくれて、あの子もさぞかし喜ぶことだろう」
「……ありがとうございます。殿下にそうおっしゃっていただけるとは、この上ない喜びです」
よく話かけてくると思っていたが、まさか国王に自分の話をしてくれているとは思わなかった。
気の置けない友人だなんて、一度も聞かされたことはなかった。――いや、そのような話題になることがなかったのだ。
社交的なネストレにとって、自分はただの知り合いのうちの一人だと思っていた。
今まで知らなかったネストレの思いに、シルヴェリオの心は微かに動揺する。
「そちらのお嬢さんは?」
「彼女はフレイヤ・ルアルディ――我が工房の調香師と副工房長を兼任しています。彼女は以前、王妃殿下に献上された香水も調香しておりました」
「まあ、あなただったのね!」
王妃は両手で口元を覆った。自分が彼女を指名したことで不当に解雇されたと聞き、ずっと気に病んでいたのだ。
「ずっと気落ちしていたのだけど、あなたが作った香水の香りを嗅ぐと前向きな気持ちになれたの。素敵な香りをありがとう」
「……っ、私には勿体ないお言葉です」
自分が作った香水が、誰かの心の支えになった。それは相手が王族であっても、平民であっても嬉しいことだ。
フレイヤの胸に、じんと温かな感情が広がった。
「それではさっそく、ネストレにあなたの香水を渡してあげてちょうだい。あの子の部屋に案内するわ」
「えっ……?」
フレイヤは思わず声が裏返った。まさか自分が王族の自室に案内されるとは思ってもみなかったのだ。
「あ、あの……私のような者が足を踏み入れるのは畏れ多いので、私は外でお待ちしております」
「何を言っているの。あの子だってあなたから香りの話を聞きたいに違いないわ」
本当にそうなのだろうかと思うものの王妃に反論なんてできない。
シルヴェリオに助けを求めたが、彼は頷くだけだ。恐らく、王妃の言う通りにするよう言っているのだろう。
(本当に、いいの……?!)
戸惑いを隠しきれないまま、王妃と国王の補佐官の案内で、ネストレの自室に足を運んだ。
シルヴェリオが黒い手袋を嵌めた手をフレイヤに差し出す。
空いている方の手でその手を取り馬車から降り立つと、目の前を仰ぎ見た。
フレイヤの前には、いくつもの尖塔を抱えた白亜の城が聳え立っている。
王宮に辿り着いたのだ。
片手には天鵞絨張りの盆を持っている。そこには数日前に完成した香水の入ったガラス瓶が乗せられている。
今日はこの香水を王族――ネストレに献上しに来たのだ。
「き、緊張して心臓が口から出てきそうです」
「……学生の時に、緊張した時は相手を野菜だと思えばいいと昔聞いたことがある。国王たちを野菜だと思えば緊張しなくなるかもしれない」
「そんなの不敬です。実践できませんよ……!」
貴族であるシルヴェリオならまだしも、平民のフレイヤにとって王族は雲の上の存在なのだ。
野菜に置き換えるなんて畏れ多い。
二人の会話の内容を知らない周囲の貴族や官僚たちは、冷徹と冠するシルヴェリオが平民の女性を気遣って言葉をかけているように見えたのだった。
仕立ての良い白地のシャツと長衣、同色のケープを翻してシルヴェリオの隣を歩く榛色の髪を結い上げた美しい女性に、周囲の貴族たちは目が釘付けになっている。
今日のフレイヤはリベラトーレにより朝からコルティノーヴィス伯爵家に拉致され、メイドたちによって磨かれたのだ。
王族に謁見するにふさわしい、品とほんの少しの華やかさのある化粧と髪結いが施されている。
普段は猫背気味なフレイヤだが、ここ数日でヴェーラから立ち振る舞いの指導が入ったおかげで背筋を伸ばして歩くようになった。おかげで姿勢を正すことに集中しており、無遠慮な視線の数々に気づいていない。
結果として周囲の者の目には、威風堂々と歩く調香師の女性として映るのだった。
「あの女性が、カルディナーレ香水工房を不当に解雇されてシルヴェリオ様に雇われたという、例の調香師?」
「とんでもなく美人だな。こりゃあ、カルディナーレ香水工房で妬みを買って辞めさせられたんだろう。気の毒なことだ」
「あのケープに縫い付けられているのはコルティノーヴィス伯爵家の紋章だわ。伯爵様があの制服を仕立てるためにお抱えの店から店員を呼びつけていたそうよ。コルティノーヴィス伯爵家が全面的に支援しているようね」
人々は、王妃が探しているという噂の調香師に同情した。
しかしフレイヤたちを遠巻きに見ている観衆の中に、今にも飛びかかりそうなほど憎悪に歪んだ顔で彼女たちを見ている人物がいた。
ゴテゴテと豪華な服に身を包んだアベラルドだ。
アベラルドはコルティノーヴィス香水工房――フレイヤが王族に香水を献上すると聞き、様子を見に来たのだ。
まだ新しい工房の調香師となって日が浅いフレイヤが、新しい上司のシルヴェリオからどのような待遇を受けているのか知りたかった。
巷ではフレイヤを解雇したアベラルドを非難する声が相次いでいるが、あの冷徹と噂されるシルヴェリオ・コルティノーヴィスがフレイヤに厳しく当たっている姿を見れば、人々はフレイヤに問題があったのではないかと考え直してくれると期待していたのだ。
しかし現実はそう甘くなく、馬車から出てきたフレイヤは見るからに高級そうな衣服を身にまとい、シルヴェリオ自らのエスコートで王宮を案内されている。
好待遇を受けているのだと一目でわかった。
フレイヤは今までとは違い堂々としている。俯きがちだった彼女は綺麗に着飾り、人々の視線を集めても動じず前を向いているのだ。
おまけに彼女の手には香水瓶を乗せた盆がある。
材料を売らなければ香水を作れないだろうと踏んでいたが、コルティノーヴィス伯爵のヴェーラが動いて材料を提供してしまったのだ。それが悔しくてならない。
「なぜだ……なぜあの出来損ないが優遇されているんだ!」
悔しさのあまり声を荒げたアベラルドは、ひやりとした視線に気づく。
見ると、周りにいる貴族たちが咎めるような眼差しを彼に向けているではないか。
当初の予定では今頃、フレイヤの不出来さを目の当たりにした貴族たちが自分に同情の言葉をかけてくれているはずだった。そうして専属調香師の契約を結び直そうと提案してくれる筋書きだったのだ。
全てが予想とは真逆だ。
気まずさのあまり、取り繕いもせずその場から逃げ去った。
***
フレイヤとシルヴェリオは国王の補佐官の案内で謁見の間に通された。
広く隅々まで豪奢なその場所に気圧されたフレイヤは、足の震えが止まらない。
しかし隣にいるシルヴェリオが最上位の礼をとったのを横目で察知すると、遅れをとらないよう倣って頭を下げた。
「――顔を上げなさい」
穏やかだが威厳を感じさせる男性の声が聞こえる。
恐る恐る顔を上げた先には、国王と王妃、そして王太子の三人が揃って自分を見ている。
彼らはフレイヤたちがいる出入り口から少し離れた場所にある、数段の階段を上った先にある空間にいる。
国王と王妃は二つ並んだ椅子に座っており、王太子はその隣で立っている。
国王は白銀の髪をきっちりと撫でつけている壮年の男性だ。昔は騎士団に所属していた頃もあったそうで体格がいい。
精悍さのある顔立ちだが目尻がやや下がっており、柔和な雰囲気もある。
王妃は金糸のように美しい髪を結い上げた女性だ。年齢は国王と変わらなさそうだ。
目を見張るほどの美貌の顔に笑みを浮かべ、フレイヤたちを歓迎している。
王太子はというと、こちらも柔和な微笑みを湛えた美男子だ。
王妃譲りの金色の髪は少し長く、耳にかけている。
平民のフレイヤにとって、正面から彼らと向き合う機会なんてそうそうないことだ。
畏れ多さに再び頭を下げそうになるのを堪えた。
「コルティノーヴィス卿、此度は息子のネストレのために香水を持って来てくれたそうだね」
「はい。我が香水工房初の香水を、ぜひネストレ殿下に捧げたいと思い、持参しました。私はネストレ殿下に返しきれない恩があります。この香水の香りが少しでも殿下の目覚めに役立つことを願っております」
「君のことは息子からよく聞いていたよ。気の置けない友人だとね。友人が見舞に来てくれて、あの子もさぞかし喜ぶことだろう」
「……ありがとうございます。殿下にそうおっしゃっていただけるとは、この上ない喜びです」
よく話かけてくると思っていたが、まさか国王に自分の話をしてくれているとは思わなかった。
気の置けない友人だなんて、一度も聞かされたことはなかった。――いや、そのような話題になることがなかったのだ。
社交的なネストレにとって、自分はただの知り合いのうちの一人だと思っていた。
今まで知らなかったネストレの思いに、シルヴェリオの心は微かに動揺する。
「そちらのお嬢さんは?」
「彼女はフレイヤ・ルアルディ――我が工房の調香師と副工房長を兼任しています。彼女は以前、王妃殿下に献上された香水も調香しておりました」
「まあ、あなただったのね!」
王妃は両手で口元を覆った。自分が彼女を指名したことで不当に解雇されたと聞き、ずっと気に病んでいたのだ。
「ずっと気落ちしていたのだけど、あなたが作った香水の香りを嗅ぐと前向きな気持ちになれたの。素敵な香りをありがとう」
「……っ、私には勿体ないお言葉です」
自分が作った香水が、誰かの心の支えになった。それは相手が王族であっても、平民であっても嬉しいことだ。
フレイヤの胸に、じんと温かな感情が広がった。
「それではさっそく、ネストレにあなたの香水を渡してあげてちょうだい。あの子の部屋に案内するわ」
「えっ……?」
フレイヤは思わず声が裏返った。まさか自分が王族の自室に案内されるとは思ってもみなかったのだ。
「あ、あの……私のような者が足を踏み入れるのは畏れ多いので、私は外でお待ちしております」
「何を言っているの。あの子だってあなたから香りの話を聞きたいに違いないわ」
本当にそうなのだろうかと思うものの王妃に反論なんてできない。
シルヴェリオに助けを求めたが、彼は頷くだけだ。恐らく、王妃の言う通りにするよう言っているのだろう。
(本当に、いいの……?!)
戸惑いを隠しきれないまま、王妃と国王の補佐官の案内で、ネストレの自室に足を運んだ。