追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

50.イチゴ泥棒

※ネストレの兄弟の表記を間違っていましたので修正しました。正しくは、兄が一人と弟が二人です。誤った表記で執筆してしまい申し訳ありません。


 
 翌朝、庭に出たフレイヤは、イチゴを見るなり表情を曇らせた。
 
 「また、なくなっている……」

 このところ、庭のイチゴがいつの間にかなくなってしまうのだ。
 熟すのを待っていると、食べごろになった瞬間に盗人が持っていってしまう。そのせいで、フレイヤはまだ青みの残っている酸っぱいイチゴしか食べられていない。
 
「小鳥が食べているのかなぁ?」

 それにしては、食べ方が妙だ。小鳥は嘴で実を啄んで食べるから、ヘタや茎が残るはず。
 しかしこのイチゴ泥棒は、茎ごとイチゴを持っていってしまうのだ。

 もしかして、人間の仕業なのだろうか。
 ふと、そのような憶測が過ると、胸の中を靄のような感情が覆う。

 譲り受けた家の庭にあった果物とはいえ、今はフレイヤのものだ。入居してから毎日世話をしている身としては、盗みなんて許せない。
 
(でも、何も知らない子どもたちが食べている可能性もあるよね……?)

 その可能性を思うと、靄はスッと引いていく。
 もしかすると、近所に住む子どもたちが自由に庭の中に入っては、今まで通り大地の恵みにあやかっているかもしれない。
 
 フレイヤが住むまでは、この家はほとんど人が住んでいなかったと不動産屋の店主から聞いた。
 人がいない場所は子どもたちの遊び場になることが多いのだ。
 
「子どもたちの楽しみを奪うのは気が引けるけど……私も完熟した甘いイチゴを食べたい……」
 
 人は食べ損ねたものへの執着が強い生き物だ。まだ味わったことのない完熟イチゴへの未練が捨てきれない。
 
 色の浅いイチゴを白い器に三つほど収穫したフレイやは、とぼとぼとした足取りで家の中に戻る。その時、ガタンと台所から何かが落ちる音が聞こえてきた。

「ひっ!」

 フレイヤは盛大に肩を揺らして飛び上がった。その手から白い器が踊り出した。咄嗟に浮遊魔法の呪文を詠唱し、空中でキャッチする。
 今度は落とさないよう、胸にしっかりと引き寄せた。
 
「い、家の中から音がした?!」
 
 自分以外誰も住んでいないはずの家だ。誰かいるとすれば、それは必然と招かざる客となる。
 
 バクバクと、心臓が大きな音を立てて脈を打ち鳴らす。
 
(台所から聞こえたよね……?)
 
 ゆっくりと音を立てずに足を運び、家の中に入り、台所に近づく。途中、階段下の物置で武器の箒を入手するのを忘れなかった。

 右手に箒、左手にイチゴが入った白い器。
 ちぐはぐな組み合わせの装備と逃げ腰な体勢で、台所に近づく。
 
 閉まっている扉に耳を近づけると、キイと戸棚を開ける音がした。

「ど、泥棒ー!!」

 勢いのまま扉を開けると、中には誰もいなかった。しかし戸棚は開いたままで、その中にあるお菓子が入った瓶の蓋が開いている。
 
 もちろん、フレイヤはその戸棚を開けたままにはしていない。
 先ほどまでここにいた何者かが、開けたまま忽然と姿を消してしまったのだ。
 
「クッキーが少し減っている……。それに、この匂いはイチゴ?」

 くんくんと鼻を動かして匂いを嗅ぐと、よく熟れたイチゴの甘い香りがする。
 フレイヤが食べ損ねた、ここにはないはずのイチゴの香りだ。

「イチゴ泥棒が、お菓子も盗んでいったの?」
 
 部屋中をぐるりと見回すけれど、窓は内側から閉まっている。そこから出入りしてはいなさそうだ。
 入口は、フレイヤが今立っている場所ひとつだけ。しかし犯人はすれ違うことなく、この部屋から出ていった。
 
「もしかして泥棒ではなくて、幽霊……?」

 ずっと無人だったのは、いわくつきだからなのかもしれない。
 悪い予想が次々と膨らんだせいで、思わず身を震わせた。

     ***

 フレイヤがコルティノーヴィス香水工房に着くと、珍しくシルヴェリオが朝から出勤していた。
 いつもは魔導士団の仕事の後に立ち寄るため、早くとも夕方頃に顔を見せるのだ。
 
「シルヴェリオ様、おはようございます。今日は魔導士団のお仕事は昼からなんですか?」
「いや、王妃殿下から預かったものを君に渡しに来た」
「王妃殿下から?」
 
 礼なら昨日の謁見で聞いたから、別件だろう。
 いったい何だろうかと首を傾げるフレイヤに、シルヴェリオが一枚の書類を差し出す。
 
 豪奢な飾り枠の装飾が施されているその書類を、フレイヤは両手で恭しく受け取った。
 王族から預かった物と聞いているだけに、持つ手に汗をかいてしまいそうだ。

 恐る恐る目を通したものの、その内容が頭の中に入ってこなかった。
 
「シルヴェリオ様、あの、これは、どうして王妃殿下が私の名前を……」
「今度、王宮で開催される競技会(コンテスト)の推薦状だ。王妃殿下が君の参加を望んでいる」
「わ、私を競技会(コンテスト)に……?!」

 あまりにも壮大な話で、頭がついていかない。

 エイレーネ王国の王都では、王族や高位貴族たちが競技会(コンテスト)を開き、優れた芸術家や職人を選抜しては、彼らの要となる事業を任せる文化がある。
 聖堂の建設には競技会(コンテスト)で選んだ優秀な画家や彫刻家に天井画や彫像を作らせ、または治癒院の改修を新進気鋭の建築家に任せてきた。

 おかげで王都はどこもかしこも美しく、他国からは芸術の街として羨望を集めている。
 
 競技会(コンテスト)を開くことで国の文化を支えており、また自身の権威を知らしめる機会にもしているのだ。
 
 とはいえ、今まで香水の競技会(コンテスト)なんて聞いた試しがない。
 なんせ、重要な仕事は全てカルディナーレ香水工房に話がきていたのだ。彼の工房が絶対的な地位を持っていたため、わざわざ競技会(コンテスト)を開くまでもなかった。
 
 初めて開かれる香水の競技会(コンテスト)に、王妃からの推薦で参加する。
 調香師なら誰もが憧れる状況だ。
 
「詳細はその書類に書かれているから読んでおいてくれ。今日の夕がた、打合せをしよう」
「はい」
 
 フレイヤがもう一度書類に目を通そうとしたその時、工房の奥からガタンと物が落ちる音がした。

「ひっ」

 フレイヤは小さく叫び声をあげると、きゅっと身を縮こまらせる。
 今朝の幽霊騒動のせいで、物音が怖くてならない。
 
「大丈夫か?」

 シルヴェリオに問われ、こくこくと首を縦に振った。頷くので精一杯だった。
 少しも大丈夫ではないフレイヤの様子に、シルヴェリオは眉を顰める。
 
「……何かあったのか?」
「いえ、特には――」

 と言ったところで、今度はキイと蝶番を動かしている音が聞こえる。

 忍び寄る恐怖に耐え切れなくなったフレイヤは、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
 両手で頭を抱え、ぎゅっと目を閉じる。完全なる防御態勢だ。

「フレイさん?」

 訝し気なシルヴェリオの声にハッとして顔を上げると、深い青色の目が意外と近くにあった。シルヴェリオもまた、身を屈めていたのだ。
 そうして覗き込まれていることに気づくと、途端に恥ずかしくなる。
 
「あ、あの……これは、その……」
「何があったのか、話してくれ」
「は、はい……」

 上司の目の前で取り乱してしまうなんて、穴があったら入りたい。
 気まずさと恥ずかしさでいたたまれないあまり、涙目になる。

「実は、今朝がた家に幽霊が出まして――」
 
 そうして、今朝の出来事をシルヴェリオに話した。
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